おいでおいで
コピペネタ

 ある冬のウエストビーチ。
 昼過ぎに起きた琥一は琉夏の居ないロフトを通り抜け、一階に降りる。
 暖房器具の無いウエストビーチは室内でも息が白く凍えた。乱雑に突っかけたスニーカーを鳴らしながらガスの火にでも当たろう
とキッチンへ向かうと、思いかけず小さな背中がそこにいた。
 琉夏が招き入れたのだろう紗雪は、高い戸棚に置いてあるコーヒーメーカーが取れないらしく、椅子の上で背伸びをし、頑張っていた。
 それを琥一はなんとなく隠れて観察した。こちらには全く気付いていないようだったし、下手に声をかけても驚かせるだけだ。
 何度もぐうっとのびて棚を掴み、懸垂の要領で身体を持ち上げ手を伸ばすものの、彼女の手はどうしても空を切る。
 溜息を吐き諦めたかに見えた彼女に近づき、琥一が声をかけようとした瞬間、沙雪はコーヒーメーカーに向かって手を広げた。 
「おいで〜」
 棚に向かって、おいで、と。一瞬真意をはかりかねたが、来るわけネェよ、という突込みを思いつくと同時に琥一は爆笑してしまう。
「…ぶっ、くっ、は、はははは!」
「へあ!?」
 間近で起こった笑いの爆発に、びくんと跳ねた少女は椅子から落ちそうになる。笑いを我慢できないままその体を受け止め、そろりと床におろしてやった。
「コーヒーメーカーが、来るかァ?ククッ」
「も!もう!コウくんが高い所にぽんぽん物置くからいけないの!」
「あいあい解ったよ、俺が悪ィ」
「ばかあ!」
 ぼかぼかと本気で殴ってくる沙雪から逃げ、テーブル席前まで歩き距離をとる。
「ほら、紗雪。おいで〜」
 手を広げまだ笑いながら沙雪のまねをする琥一に向かって、怒りのドロップキックが決まるのは数秒後のことである。

彼女の恐怖伝説
みよちゃんと

 喫茶アルカードの隅で、小柄な少女が二人メガホンほどもある大きなパフェグラスををつついている。パフェに限らず、
洋菓子は巨大になればなるほど大味で粗雑になりがちだが、このアルカードのスペシャルパフェは味も見た目も損なわれていなかった。
「おいしいねえ」
「うん、とても」
 洋菓子店でアルバイトをし、スイーツマニアであるみよが手放しで褒めるのを、沙雪は初めて見た。
 上質なチョコレートスポンジとオレンジソースが層になった土台の所々に、チョココーティングのコーヒー豆が入っている。
上層にはアーモンド風味のクリームとアプリコットムースが乗せられ、煮たりんごとスライスされたり砕かれたりしたナッツ類が上品に盛られていた。
食感のアクセントになるようにいくつも差し込まれたパイ生地と散らされた香草は見た目にも美しい。
 みよはまずその外観を写メに撮り、ざっと概要をメモ帳に描きうつす。そして、分解しながら味わって食べるのだ。
ただ、あまりにも量の多いそれを一人で食べることは到底出来ないので紗雪を呼んだのだった。健啖な友人の存在を心からありがたい
と思いつつその食べっぷりにいつも恐怖を覚えてしまう。
「みよ、これ、何かオレンジピールっぽいの入ってるよ!」
 大食いで食べるスピードも速いのに決して下品ではなく、キレイにぱくぱくと食べ味覚も鋭敏だ。
「なるほど、ムースの風味はそれが原因」
 うんうん、と頷きながら沙雪は又スプーンを口に運んでいる。丸呑みもしていないようだし、まったくどうやって大量の
食料を摂取しているのかが分からない。
 桜井兄と焼肉食べ放題に行って店長直々もうやめてくれと頭を下げられたり、フードコートのスタンプラリーを最速で制覇したり、
学食の大盛り定食を運動部の男より早く食べ終わったりと、彼女の大食いっぷりにはいつも驚かされる。
 食事に遠慮がないというのは、見ていて気持ちのいいものである。桜井兄もちまちま食べるような女は好きではないだろう。
「二層目突入ー、みよ、ほら」
 チョコケーキ層が露になったパフェを差し出される。腹具合を気にせずちょっとずつ美味しいものを食べられる幸福に、ついみよは微笑んでしまう。
「ありがとう、バンビ」
「え?急にどしたの」
 ううん、なんでもないと首を振るみよを、彼女は怪訝そうに見ていた。

人の上に立つひと
卒業後

 年末年始で体がなまっているから遊ぼう、と沙雪は電話口で元気に言った。この場合の遊ぼうはイコール運動
しよう、だ。面倒だとは思いつつもついつい了解してしまうのは、琥一も桜井家の正月に倦んでいたからかも知
れない。地場の名士というものはとかく付き合いが煩雑なものなのだ。
「コーウくーん!」
 河川敷の公園で千切れんばかりに腕を振る沙雪は、土手の上からも良く見えた。適当な場所にバイクを止め、
寒風吹く川辺に琥一は降り立つ。
「んで、なんだ」
 ジャケットのポケットに両手を入れたまま近寄る男に、少女はミットを投げつけた。
「キャッチボール!」
「オウ?」
 いぶかりながらも琥一がそれを手にはめた瞬間、ばすうっと風を切る音がし速球が飛んで来た。伊達に賭博競
技で稼いでいないので、ぎりぎりの所でばごっと鈍い音を立ててきわどく回転する球を受け取る。
「アブネーだろうがよ!」
「コウくんなら捕れるでしょ!」
 おーらいおーらい、と手をふらふらさせ、投げ返せと彼女は誘う。
「お、らぁっ!」
 思い切り体を捻り、力任せに硬球を投げる。琥一の咆哮にランニングをしていた老人が驚いたように立ち止ま
った。びゃうっと音を立てた球に併走し、ある程度距離を稼ぎ勢いを殺したところでぱぁんと沙雪は見事にキャ
ッチする。
 おおーと老人が拍手をし、それに気付いた少女は帽子を脱いでお辞儀をするマネをした。
「いっくよー」
「っし、来い!」
 笑いながら琥一はしゃがんでキャッチャーの姿勢をとる。それにあわせて沙雪もくるくると肩を回した後、綺
麗に上半身を捻ってオーバースローで直球を放った。
 ばすーん、とミットに収まった球の勢いを上手く殺し琥一が立ち上がると、ストラーイク、と老人がまたして
も声を上げた。
「凄いなぁ、あの嬢ちゃんは。何かの選手かい」
「何モンでもねぇよ、ただのチビだ」
 いくぞーと言って、今度は山なりに球を放る。そのまま何度かキャッチボールを続けると、老人がしみじみと
言葉を発した。
「勿体無いのう、凄い選手になれると思うんだがな」
「さァな」
 高く跳ねて見事に球をキャッチした紗雪を見て、ふと琥一は老人の言葉を考えてみた。あれだけの馬力と反射
を持っている彼女だが、何かの部活に入っていると言う話は聞かない。
「コウくーん」
 今度はソフトボール式のアンダースローで放ってくる。実に器用だ。
「オイ、オマエちょっと来い」
 相変わらずエグい球威を何とか立ったまま捕り、手招きをする。
「なぁに、コウくん」
 とことこと近寄ってきた沙雪を、老人が去ったのを確認してからぐっと引き寄せ土手に座らせる。ミットをも
ぞもぞと扱う様子から、まだまだ運動し足りない様子がありありと見える。
「今、通りすがりのジジィから聞かれたんだけどよ、オメェ何かの選手になろうとは思わねーのか」
 普段の琥一なら聞きそうもない質問に、少女はまつげを瞬かせた。溌剌として普段なら打てば響くように返事
をする紗雪はしかし、答えを発しない。
「あー、なんだ、ワリィ。言いたくねーなら…」
「コウくんはやさしーね!」
 隣り合う姿勢からばふっと飛び込むように抱きつかれ、琥一は動揺した自分を恥じる。ごろごろ懐く沙雪を持
ち上げ、もう一度己の隣に座らせる。
「ぶー、けぇち」
「ケチじゃねぇ」
 そのまま腕に抱きついてくるのは見逃すとして、やはり何かあるのかと男は空を見上げる。丁度垂れ込めるよ
うな冬の曇天から、はらはらと雪が舞い降り始める様子が見えた。
「雪だぁ!」
「チッ、又寒くなるな」
 帰るぞ、と沙雪を立たせようとするとぎゅっと腕を引かれた。
「あのね、私中学の時一体大付属に誘われてたんだあ」
 何の競技かは言わないが、何かしらでやはり秀でた選手であったらしい口ぶりだ。
「でもね、私ね、楽しいのが好きなの。その、部活で一生懸命になるのも学生のうちしか出来ないし、夢中にな
れるのもわかるんだけど、強い人のなかで強い人とだけ戦うのは嫌なの」
 付属からの誘いを断った沙雪を問い詰めた部活の友人らは、その理由を聞いて激怒した。少女が親友だと思っ
ていた彼女達は、苛めこそしなかったものの掌を返したように紗雪の周りから離れ転校を良い事にあっさりと
絶交を申し出た。彼女達の方が運動を志すものとして正論だ、と思った沙雪は黙ってそれに耐えた。
「強くならないといけないのかな」
 琥一には知っておいて欲しいと思っていた事が、口からあふれ出す。いきなりこんな事を言われてきっと困っ
ているだろうし、もしかしたら沙雪のことを嫌いになってしまうかもしれない。
「オマエは十分強ぇじゃねーか、それ以上強くなってもらっちゃコッチが困るんだよ」
「ふえ?」
 ぎゅう、と先ほどは避けられた腕が少女を抱き締めてくる。
「まァ、ジンセイ色々だ」
「なにそれ」
 くしゃっと目じりに皺を寄せて笑う琥一に、沙雪もつられて笑う。投げやりではなく、素直にそういう考えも
あるだろうと受け入れるような仕草と声に、張り詰めていた心がふわっとゆるんだ。
 さあ帰ろうかね、と手を離してバイクまで歩き出す男の後ろをちょこちょちょこと着いていきながら、一言で
沙雪を受け入れた彼の度量に改めて惚れ惚れする。
「よっ若社長!大好き!」
「その名前で呼ぶな…」
 うんざりしたように手を払う琥一からヘルメットを受け取り、沙雪はよいしょっとバイクの後ろに跨った。
「ねえ卓球かボウリングしにいこう!」
「しゃーねえなァ」
 白い溜息を吐きながらも優しい声で答えた彼は、バイクの行き先を繁華街の方へと修正した。

ベタをやるには力が要る

「わああ!」
「バカ、そんなにデケー声出すな」
 そのくまのぬいぐるみは、琥一が抱えるとそれほどでもないが沙雪には少し大きすぎた。なんてベタだろうか
と自分でも思うが、正直プレゼントが何も思いつかなかったのだ。

 沙雪に聞いても食べものをねだられるだけだったのがまず苦難の始まりだった。右往左往する間に、桜井組の
社員からとあるテーマパークのくまが驚くほど彼女に受けたと言う話を聞き、結局ぬいぐるみにしてしまったの
だ。
 自分で買うのは余りにも恥ずかしいというかそぐわないと思ったので、琉夏に買いに行かせたのだが。
「オイこれデカすぎんだろ」
「これくらいのほうがインパクトあると思って」
 にや、と笑う奴を一発殴りたくなったが依頼した立場としてぐっとそれを堪える。
「でもコウがぬいぐるみねぇ?」
 言い返さないことを良いことに、にやにやと言い募る小綺麗な顔が憎たらしい。
「ッセーな」
 後々までこれをネタに笑われるのかと思い、琥一はげっそりしてしまった。

「コウくんありがとう!」
 しかし、ぎゅうっとぬいぐるみに抱きつく沙雪は実に可愛らしいし、心から喜んでいるようだった。
「まァ、イイか」


「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -