カラフル

 シンプルに、原因を明確にして努力し、それを克服する。それが最善で、自分のやり方だと思っていた。
 最初から変だとは感じてていた。今まで嵐に告白をしてきた少女達や、活発で男集団と一緒に駆け回った女
友達、友人の姉や果てはテレビの中のきらびやかな女性達。その誰とも深雪は違っていた。
 やさしく、そしてちょっと抜けていて、よく笑い、女々しくなく…彼女の長所を挙げるといくらでも言葉が続
く。二年間、曖昧なままマネージャーという枠に放り込んで安堵していた。友達でも何でもなく、傍にいてくれ
る為の方便といえばそうかも知れない。
 それが崩れたのは余りにも簡単なきっかけだった。

 誰が言い出したのか、いつの間にか柔道部夫婦などと呼ばれるようになり、嵐自身はやんわりと否定しながら
も悪い気はしていなかった。
 三年に上がったある日、あまりにもしつこい級友達の夫婦だという冷やかしにうんざりしたらしい深雪が、嵐
を手招きで呼んだ。少し怒ったような表情で嵐を見上げた彼女はこう言い放つ。
「ね、嵐君。私達そういうのじゃないもんね?」

 ああ、と頷いて自分の席に戻れたのが奇跡と思えるほど、世界が真っ暗になった。
 何が起きたのかわからない。自分は、ショックを受けているのか。何故こんなに頭がぐらぐらして何も考えら
れないのか。何を期待していた?彼女に何て言って欲しかったんだ?
「くそっ」
 教室からそっと抜け出して、人気の無い廊下まで歩いてから消火栓を思いっきり殴った。があんと凄まじい音
が響き、鉄製のそれが少しへこむ。
 それでも収まらない。ぐちゃぐちゃな心と頭が爆発しそうで、体に感情が渦巻く。
 二発目を振りかぶったときに、腕を掴まれ、ぎりぎりと捻られた。
「やめろ、不二山」
 腕を掴んでいるのは大迫で、その後ろには泣きそうな顔をした深雪が立っていた。感情に任せて振り払おうに
も、教師の手は離れない。
「離せッ」
「だめだ。頭冷やせ!」
 ぱぁん、と気合を入れるときのように両頬を打たれる。ぐらりと脳が揺れ、がくりと膝が折れた、恐らく軽い
脳震盪だ。
「嵐君!」
 ぱたぱたと駆け寄る深雪が、心配そうに座り込み、覗き込んでくる。
「寄るな…っ」
「っ!」
 手で払うと、掌がもろにぱんっと深雪の顔を打ってしまい、柔らかな体が仰け反った。
「いい加減にしろっ!」
 襟首をつかまれ、猛烈な怒りを瞳に宿した大迫に吊り上げられる。凄まじい腕力に持ち上げられ、首が絞まる。
「悩むのは大いに結構!だが落ち着け、お前は今誰に手を上げた!」
 真っ直ぐ問われたことで、ほんの少し溢れそうな感情が退く。手を離されてどさりと床に落ちると、ぺたんと
座ったまま赤くなった頬を押さえている深雪と目が合った。何をされたのか分からないといった顔で、きょとん
としていたが、嵐と目が合った瞬間彼女の瞳からじわじわと涙があふれていった。
「あ、―あ」
「ごめ、っふ、ひっ、別にっ、痛いわけじゃないからっ」
 ひくひくと嗚咽を上げながらぼろぼろ泣き始める彼女に、今度は己の体からざあっと血が下がるような感覚に
襲われた。
「悪い、ホント、悪い…」
「や、ちがっ、嵐君はっ、悪くないから」
 幾筋も幾筋も、彼女の頬を涙が伝っている。それを拭ってやりたかった。
「不二山、血ィ下がったか?」
「…押忍」
「まあこれも青春だ、先生の専門分野じゃないがな。六時限目の特別ホームルームの欠席を許可する。村田が落
ち着くまで帰ってくるな」
 意外な事を言う大迫に、嵐は目を見開いた。真っ先にこういった不正に拒否反応を示しそうな深雪は、まだ自
分の感情で精一杯のようだった。自分の言いたいことをきちんと伝え、嵐を落ち着かせ、颯爽と去っていく大迫
の後姿を眺めていると、改めて侮れない教師だと思い知らされる。
「ごめんね、泣き止むから、授業…」
「いい、気にすんな」
 へたり込んだままの深雪と向かい合うように胡坐をかき、その顔を覗き込む。まだ収まらない涙と、すっかり
腫れてしまったまぶたが痛々しい。
 なぜこんなに泣いているのかは分からないが、恐る恐る彼女の頬に触れる。
 熱い。上気した頬は、予想よりはるかに熱を持っていて、涙もぬるくなっている。優しく触れたつもりだった
のに、頬骨にごりっと当たる感触がした。
「痛…」
「加減が、わかんねー」
 ぐっと顔を上げさせて、両手で深雪の頬を包む。真っ赤になった鼻や瞳が痛々しい。
「あらしくん…」
「泣くな、泣き止め」
 彼女が泣いていると、嵐まで悲しくなってしまう。
「泣かないでくれ」
 勢いで、子供をあやすように深雪をやわらかく抱き締めて背中を摩ってやる。
「ぁ…えと、あ、あらしくん?」
 全く人通りがないとは言え、ここは特別教室棟の廊下だ。背を摩ってくれる大きな手のぬくもりに昂ぶってい
た気が落ち着くと、猛烈な羞恥が深雪を襲った。
 近い、嵐が近い。というより密着している。
「落ち着いたか?」
 顔を覗きこむ彼の瞳の色が透けて見えるし、喋るたびに息が掛かる。その喉の震えさえも伝わる気がした。
 離して欲しいけれど、離して欲しくない。頭が真っ白になりそうなのを必死で繋ぎとめる。
「…うん」
「そっか」
 心配そうな表情が緩み、彼が笑う。何時も結構仏頂面だから、たまにしか見られないその少年っぽい笑みが深
雪は好きだった。
「殴って悪かった。もう二度としねーから」
 真っ直ぐに謝られると、なぜか罪悪感が湧く。あれは事故のようなもので意図して殴ったわけではないだろう
に、それに大げさに反応してしまったのは自分だ。
「ううん、いいの。あのね」
 嵐に拒絶された事が、嫌だったのだ。来るな、と大きな拒絶を示されたことがショックだった。
 そう伝えると、珍しく僅かに赤くなった嵐が戸惑いながらも口を開いた。
「うん、俺もなんか、良く分かんねーけど、さっき教室でお前に突き放された気がして、嫌だった」
 ほんの些細な、今まで何度も繰り返してきたようなやりとりにさえ溢れるほど、お互いの感情は零れる寸前だ
ったのだ。
「何なんだろうな、これ。本当全然、わかんねー」
「うん」
 至近距離で、ばちりと目が合う。何も言わなくても伝わるほど傍にいた。だから夫婦などと呼ばれるのだろう。
しかし今は、全く何も分からない。お互いが何を望んでいるのか、それが分からずに過剰に反応する感情と体に、
理性と判断が追いつかない。
 少女はほとんど無意識に目を閉じ、青年はそんな彼女の頬をもう一度掌で包んだ。
 二人の呼吸が重なる。

 ほんの僅かなその触れあいに、驚くほど満たされ荒れていた感情が治まる。
「―くくっ」
「え、えへへ」
 額をくっつけて照れ隠しに少し笑って、もう一度触れ合わせる。
 言葉で伝えたわけではないし、何かはっきりと関係が変わったというわけではないのに、二人を包む空気の色
が変わっていった。

 その日の放課後、大迫が顧問として柔道部に顔を出すと、照れたように視線を合わせない教え子達がいた。

 2

 以前ホワイトデーに贈った瓶詰めの輸入ロリポップを、深雪は気に入っているようだった。嵐君、あれどこで
買ったの?と聞かれてから、たまに彼女がそれを食べているのを見かける。
 今日も部活が終わっあと一つ剥いて口に入れ、それをあざとく見つけた後輩達に配っていた。
「嵐君もいる?」
「もらう」
 はいと言って深雪は嵐にレモン味を差し出した。そして後輩達の元へと戻り最終的には居合わせた大迫にまで
飴を差し出していた。
 最初のバス停でばらけるまで団子になって帰る柔道部の面々が、皆ロリポップを咥えているのは一種異様な光
景だった。女子ならば音楽のPVのような雰囲気になるのだろうが、ごつい男の群れだ。飴はコンビニやスーパー
の売り場で安く売られているものではないので、しっかりと果物の味がするから皆無言でもぐもぐと食べている、
それが又不気味でおかしい。
「何か、不気味だな」
「そう…ね」
 並んで歩く深雪は、ちょっと後悔したように眉間に皺を寄せている。ふと、飴を舐めるその口元に目が行く。
ちゃんと手で持っているからか、唇から舌がほんの少し覗くのが見えてしまった。
 正直、エロい。
 一度そういった目で見てしまうと、中々収まりが着かないことは身をもって知っていたから、嵐は無理矢理に
視線を剥がし真っ直ぐに前を向いた。
 お疲れさんですっ!と柔道部はバス停で別れ、歩きで帰る深雪と嵐は集団から離れた。妙に気を使う後輩達は
何かにつけ元部長と元マネージャーを二人きりにさせたがる。
 あまり口に物を入れた状態で喋るのを好まない二人は、もくもくと歩き続けた。秋の深まるこの時期は夜にな
るとさすがに寒く風も強い。ひゅうと地面につむじがまいた。注意して歩かないと彼女を置いていってしまうか
らと、ぎこちない歩き方になってしまうのが自分でもおかしかった。先ほど目を奪われた唇だってそうだ、深雪
の一挙手一投足、言葉一つ、ひどいときは呼吸一つで世界の色が変わる。日々感じることが多すぎて、神経が焼
ききれそうだ。
 はぁ、と息をついて少し立ち止まる嵐に合わせて、深雪も立ち止まる。
「どうしたの?」
 嵐は食べ終わったが、まだ深雪の飴はなくならないらしい。喋るためにわざわざちゅ、と口からそれを出す仕
草に目を奪われる。
 キスがしたい。したくてたまらない。
 ここは外で、今は全くそういう雰囲気じゃない、そんな反論を塗りつぶすように欲が暴走する。本当に、彼女
に関することにだけ、自分を律することができない。
「お前、何味食べた」
「え?蜂蜜だけど…っ」
 きょとんと見上げてくる深雪の顔を捕まえて、唇を重ねる。彼女の唇とその内側を舐めただけで、あまい蜂蜜
の味がした。口内に残るレモン味とそれが、ほんの少し混ざり合って溶ける。
「ごっそさん」
 は、と唇を離した至近距離でそう言うと、面白いくらいに彼女の頬に血が上った。
「も、もうっ!急に、なにするの!」
 すたすたと歩き始める嵐の背中を、照れと驚きで頭から湯気を出さんばかりの深雪が小走りで追いかける。
「ジョギングするのか?」
 にやりと笑って、嵐も走り出そうとすると、違う!と言いながら、ぎゅっとブレザーの背中を捕まえられた。
「いっつも嵐君ばっかり余裕みたいで、ずるい」
「いや、それはないぞ」
 深雪といると、まるで瓶に詰められた派手派手しいロリポップのように、世界がめまぐるしく表情を変える。
足元が定まらないようなその感覚に余裕などもてるはずが無い。
「俺だって、色々考えてる」
「色々って、その、なに、さっきみたいなのも?」
「そうだ」
 直球で返すと、ぎゅっと背中に抱きつかれる。やわらかい感触と暖かな体温が硬い布地越しに伝わる。
「私ばっかり、一杯一杯かと思ってた」
「俺ばっかぐるぐるしてるんじゃねーか、ってよく思う」
 最近、友人に突っ込まれてから気付いたが、嵐にとって深雪は初恋の人で、なおかつ初めておつきあいをする
ひとだ。接し方も勿論だが、何よりも自分の感情を持て余す。
 巷で囁かれる、愛してるや好きと言う言葉にどんな感情が値するのかも分からない。ただ、彼女が傍にいると
温かくなる心臓辺りの感触が全ての答えだと思った。
 しかし帰らなければならない。
 しがみ付く深雪をべりっと剥がし、嵐はまた馴れない間合いで歩き出そうとする。が、離れた体温が惜しく、
数歩で立ち止まって振り返る。
「ん」
 差し出される厚い掌に、深雪の方が動揺した。手を繋いで帰ろうということなのだろう、強引に引っつかまれ
なかったのが良かったのか悪かったのか、物凄く照れてしまって躊躇してしまう。
「ダメか?」
「ううう、だめじゃない…けど」
 さっきのキスといい今といい、思ったより彼は欲望に素直であることが最近分かってきた。元々真っ直ぐな人
だということは良くわかっていたはずなのだが。
 えいっ、と気合を入れてぎゅうと手を握ると、また、高い体温が指先から伝わった。




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