リスが一匹、不吉なことに家の前で死んでいた。どこぞの猟師に誤って打たれたのだろう、しかしそれでもせめて我が家の前で死ぬことないのに。朝から今日はついていない。
中在家は溜息や落ち込んだ気分もほどほどに、さっさとそれを片すために膝を折る。そのリスは随分痩せ細っていた。背中と横顔しかこちらからは見えないが、冬をうまく過ごせなかったのだと容易に予想が尽く。その小さな見知らぬ命に流す涙はないけれど、一瞬ばかり冥福を祈る。
ふといつかの学園での日常の記憶を手繰り寄せられて、少しばかり懐かしんで膝を折ったままリスには触れず、空を見上げた。やや雲がかってはいるが今日もいい天気だ。雪解けも済んだことだし、またあの学園はざわめきを取り戻したところだろう。
自分はすっかり年を取ってしまい、下手なことをしないうちにと引退してしまったけれど、彼の人々は元気でいるだろうか。級友たちは今もまだ、この空の下の闇をひそりと駆け回っているのか。
しかし、その回想は文にしてみれば長く、時間にしてみれば数秒という短いものであった。春は巡ったといえども寒い日は寒い、ぶるりと身が震えたことに中在家は意識をふと戻し、再びの溜息の後そのリスをひょいと片手で持ち上げた。今の気温よりも冷たいそのリスは、どれほど長くここで横たわっていたのやら。
ころん、と、音がして中在家は指を一瞬揺らした。リスを持ち上げて地面から浮かした途端、何かが地面に落ちたのを音と視覚で確認した。何だとリスを少しばかり退けて調べてみると、なんてことはない、ただのどんぐりだった。大きくも小さくも形の良さも悪いもないごく普通のどんぐり。
それだというのに、ばくんと動いた心臓は何を感じたのだろうか。
おそる、おそる、中在家はリスを抱きしめた。リスの体温はもう無い。それだというのに胸の奥は不思議とじんわりと熱くなり、これではただの人間ではないかと思いながらも、中在家は胸の奥からあふれ出る涙を止めることができなかった。




死ぬ間際の思いというのは、最後に強くその念を込めて見たものに移るという。そんなことを信じているわけではないが、思い出してしまったものは仕方ない。仏を信仰するわけでもないくせに噂に頼るという己に嘲笑さえ覚えながら、次屋は息を吐き出した。心臓のかなり近くを狙われ、どくどく溢れ出す血はもう止まらない。
無意識に痛いと口に出してみて、それもそうだと返事をするしかない。言葉で意識を逸らそうとしてももう近くに見える死から逃れようもない。木にもたれかかったまま、最後の気力を振り絞って敵の気配を探る。完全にしとめたとでも思ったのか、もう敵はどこにもいないようだった。敵は完全に次屋をしとめたわけではなかったけれど、それでももう動くことができないのは確か。死が間近な状態で、どうして遥か遠くの城に戻れようか。
痛い。次屋はまた意味のないことを口にして、ふと前を見た。次屋が腰を下ろすのと同じ木の枝の先の方に、どんぐりを持ったリスが一匹、ちょこんとこちらを見ていた。そのきょとんとしたような間抜け面に痛みばかりでどうしようもなかった感情が少し緩んで、思わずふっと噴出す。
「リスだ」
まさかリスを見て死ぬことになるなんてなあ、と次屋はくつくつ笑って、なるべく怖がらせないようにただぼんやりとリスを見るだけに留めた。リスは目の前の人間がどんな状況に陥っているのか知るか知らぬか、どんぐりをくるくる回して、時折次屋を見てはこてんと首を傾げる。その一々の仕草のかわいらしさに、思い出したのは学園在学中の後輩たちのことだ。それから連鎖して級友たちのことまで思い出してしまう。痛みで痛い痛いしか動かなかった口が今はその記憶で幸せに近いものに包まれて、くつくつと小さく笑みを漏らしている。まったくおかしな状況であった。元々次屋はなんでもかんでもいい方向に考える人間ではあったものの。
(最後に見たものに思いが移る)
やがて笑うのもやめて、ふうと息を吐き出し自分を落ち着けると、次屋はじっとリスを見つめた。色んなことを思い出しながら、次屋は視線を釘付ける。この記憶はもう終わってしまうのだ、せっかく楽しくて美しいものなのになあと思うともったいない気もしてくるが、なんだかもうそれでいいような気がした。人間の生と死というのは元来からそういうものであっていいのだ。
リスが僅かにだけ、次屋の方に近寄った。それより直前次屋の視界はぐらりと揺らぐ。ああもうそろそろだなと次屋はぼんやり思うと、心臓の辺りにずっと置いていた手をおろして垂らした。それから、空いていた片手の方を、そうとリスに近づける。
(幸せな一生だった)
さようなら、と次屋は無意識に口にした。それを合図にしてリスは、たっとその枝から別の近くの木へ移っていった。次屋の手が届く寸前のことであった。
また、次屋の命も、そう長くはもたなかった。リスがいなくなったのを、音で確認した数秒後、何を思うこともなく次屋の手はぱたりと枝の上に落ちる。呼吸の音はしなくなった。最早生者の気配は、ない。
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