小さい頃の夢を覚えていますか、
問うた声に隣に座る男は静かに首を傾げる。覚えているようで、覚えていない朧気なものなのだろう。けれど俺は覚えていますよ、と笑いかけるとそうか、と返事が返ってくる。細波の規則的な寄せ返す音が潮辛い風と一緒に流れてきた。二人だけでいる海は寂しいようで賑わしい。
自分の幼い頃の夢は単純なもので、好きな人と結婚することとか女の子にもてるようになるとかコロコロと変わっていた。大人になるに連れてどうしても叶わないものは捨ててきたし、結局頑張っても叶えられなかったものだってある。けれど女の子には十分ちやほやしてもらったし、好きな人にも愛してもらった。
「俺、鬼さんの夢も覚えていますよ」
「言ったか?」
「聞きましたよ」
随分昔のことだから、ほんの一時の話だったから、忘れてしまうのも仕方ないけれど。「普通に生きたい」と話してくれたんですよ。「家庭を持って、子供と女房と暮らすのもいいなぁ」と。口に出そうとして寸でで声は止まった。恨みがましい言い種になるだろう、嫌味極まりない言葉になるだろう。それにもし、本当にほんとうにこの人があの日言った夢をずっと抱えていたら自分はどうすればいいというのだろう。
(もうあの娘との縁談も断ったと云うのに)
海の向こうで船が進んでいる。白い帆がキラキラと光っていた。
(もう、此処で生きることしか出来ないのに)
それを望んでそうさせたのは自分だと云うのに。
肩を並べる鬼蜘蛛丸の表情は相変わらず穏やかな凪のように静かで優しい。昔よりも深くなった眼を遥か遠くに向けて瑠璃を映している。無防備にしている手の甲に義丸は手を重ね合わせた。十字の傷に沿って引き攣った皮膚がツルツルとしていて気持ちいい。浮き出している血管からは細波と合わせたような血潮の律動が聴こえる。
この暖かさが嘘ではないのだと云うように、どうか
「鬼さん、最後の最後の我が儘を言っても良いですか」
これで良かったんだって言って
それできっと 俺の我が儘は終わりだから