時計の針がちょうど九時を指した、その瞬間。
作戦室のモニターにぱっと明かりが灯った。

「やぁ、おはよう。ボンゴレのみんな」

画面に映し出されたのは白蘭だ。
白蘭は視線だけでツナたちを見回し「正チャンはいないんだね。残念だな」と零した。
その表情は人好きのする笑顔のままだ。

「…………」
「あれ?みんな硬いね。まあ警戒して当然か」
「本題はなんだ、白蘭」

作戦室の椅子の上で立ち上がりながら、リボーンが直球で問う。
リボーンはモニターをじっと見つめ、“本題”に関する手がかりを探っていた。
誰も口にはしないが、その場にいる全員が固唾をのみ同様の考えを抱いている。
白蘭の背後には洋風な家具類と調度品しかない。白蘭が通信に用いているのは簡易的な電子機器のようだ。

「なーんだ。綱吉くんも他のみんなも、ゆっくり話す気はないんだね」
「ああ。修行の時間がもったいねーだろうが」
「そっか。せっかく楽しみにしていたのにね、……ねえ?」

“みちるチャン”。
そう言いながら、白蘭はモニターを乱雑に動かした。
備え付けのカメラがぐらぐらと揺れ、やがて焦点が定まる。
そこにはハイバッグチェアに行儀の良い姿勢で座るみちるが映されていた。

「千崎っ!」
「千崎さん!」
「みちるちゃん……っ」

了平とツナが声を荒げ、クロームが一歩遅れてふらつく足取りでモニターの前まで駆けてきた。
みちるはその瞬間、はっと薄く口を開いた。直後、心臓が胸の中で大きく音を立て始める。
落ち着いて再び口を閉じ合わせようとしても、唇が震えて上手くいかない。
泣かないと決めていた。だが、頭がカッと急速に熱くなる感覚があった。

「千崎……」

獄寺がぽつりと呟いた。まっすぐにみちるを見つめて。
消え入るような声量なのに、はっきりと聞こえた。みちるはそれがとどめのように、ほろりと涙を零し、慌てて隠すように顔を伏せた。

「どうして千崎さんがそこにいるのか、教えて……くれませんか」
「んん?えーっと……、それじゃあ、僕から話そうか」

ツナの問いに、白蘭は一度みちるを振り返る。
両手で顔を押さえて肩を震わせるみちるを一瞥し、引き受けたとばかりにモニターに向き直った。

「みちるチャンをここに招待したのは昨日の朝。駅前で見つけたから連れて来たんだ」
「拉致したんだろ?」
「人聞きが悪いなぁ。でも、正解。幻術で気を失ってもらったよ」

白蘭が平然と犯行の一部始終を話すので、みちるはもはや感心して一瞬涙も止まり、顔を上げた。
具体的にどんな幻覚を見せられたのかみちる本人は覚えていない。白蘭にとっても、みちるが幻術のショックで失神すれば内容はどうでも良いことだった。
だが、みちるの身を案じる仲間たちは黙ってはいない。

「なんだと!?」
「みちる姉、怪我してない!?」
「う……、うん……」

了平とフゥ太の大声に、みちるはこくこくと頷きながら答える。
あの時地面に伏したのは間違いないが、外傷はない。
みちるの反応に了平とフゥ太、そしてバジルがほっと安堵の息を吐いたのが、モニター越しにみちるにも理解できた。

「みちるを攫った目的は何?」

今度はビアンキが白蘭に問いかけた。
「みんな威勢がいいね」と、白蘭は楽しそうにいちいち一言茶々を入れる。

「みちるチャンはスペシャルゲストだから。手厚くもてなしているよ、安心して」
「答えになっていないわ」
「手厳しいねー。うーん、これは正直に言わないと駄目か。ここには、みちるチャンと仲良くしたいって言う子がいるんだ」

しん、と一瞬の静寂が落ちる。
「……どういうこと?」と、ツナが口火を切った。白蘭が薄く目を開いて微笑む。

「どうもこうも、その通りの意味さ。さあ、僕の話はこれで終わり」
「なっ……待て!まだ話は……」
「きみたちだって、みちるチャンと話したいだろう?」

白蘭がみちるの肩に気安く触れ、みちるは反射的にびくりと身体を震わせる。
みちるは後方のソファに歩み去る白蘭を見つめた後、少々気まずそうにモニターに向き合った。

「制限時間は五分間だよ」
「……はい」
「……っ、千崎さん、大丈夫……?」

みちるの表情と身体から、不安がじっとりと滲んでいることに気付いたツナは、真っ先にそう声を掛けた。

みちるは淡いベージュのブラウスに、群青色のロングジャンパースカートを着用していた。
きちんと両足を揃えて椅子に掛ける姿は、品の良いお嬢さんの様相である。
活発に動き回る普段のみちるの印象からは少々縁遠くも感じるものの、今みちるが置かれた状況にはマッチしていると言わざるを得ない。
似合っていても、“らしくない”。
モニター越しの違和感は、みちるの居場所はそこではないと、ツナたちに訴えかけるようだった。

「大丈夫。……みんな、心配をかけてごめんなさい……」

みちるの穏やかな表情は、震えの奥に凛とした覚悟を宿している。
泣いているのなら慰めるのに、みちるはそんなものは要らないという態度だった。
次の言葉を探すツナの隣で、獄寺は声が出せないでいた。みちるのことが、知らない女性に見えて仕方がなかった。

「あの……、不安だけど、大丈夫。決戦の日にはみんなと合流できるって、約束してもらったよ」
「おい、みちる。随分落ち着いてるな、らしくねえぞ。そっちに知り合いでもいるのか?」
「リボーンくん、……」

みちるは声には出さず、小さく頷いて見せる。

「誰だ。俺たちの知っている奴か?」
「知らないと思う。……でも、……ううん、ごめん。今は何も訊かないでほしい……」
「なんでだ?」
「まだ、気持ちがごちゃごちゃしてるから、きちんと話せるまで時間が欲しいの」

みちるの表情が、笑顔を形作る。
以前、ヴァリアーとのリング争奪戦が終結した後、みちるはクロームを訪ねるために黒曜へ足を運んだ。
クロームはみちるのことを「虚勢も見せかけも必要ない」と評した。みちるが正直者だからだ。
そして、十年後のディーノと共に日本に降り立った日、彼は「自信がなくなったら、相手のために笑ってみろ」とみちるに教えてくれた。
みちるの中に、多くの仲間たちとの思い出が蘇る。
今、無理くり貼り付けた笑顔は、みちるの覚悟の一つだった。
逃げ場などない白蘭の手の中で、自分を見失わずに、本当の敵と向かい合うための戦いに、足を踏み出すために。

「みちるも戦っているのか?こいつらと同じように、守るべきもののために」

リボーンの問いに、再度みちるの心臓が大きく脈を打つ。
どうしてバレてしまうのだろうと、みちるはたじろぐ。
だが、ようやく自分も戦いの場に立つのだと、立つべきなのだと、背中を押されたようにも感じる。

「……わからない。でも、確かなことはあるの」

みちるは笑った。

「今わたしは……一人でもまっすぐに立ちたい。その、練習中」

そう言ってしまってから、これは戦いなのだろうかと自分自身に疑問を抱く。
だが、向かい合う仲間たちが固唾をのんで見守っている。
戦地に赴く戦士を、心配な気持ちをぐっと堪える表情だった。
みちるはそれをよく知っていた。ずっと隣にいた、京子やハルが教えてくれたものだった。
そんな時、やはり戦う者は笑うのだ。それは山本やツナが教えてくれた。

「わたしは大丈夫だから、そこにいない人にもそう伝えて……ください」

どうにか震えることなく、全ての思いを伝えきった。
みちるは座ったままで、伏せるように僅かに頭を下げる。
「みちる」と、リボーンの凛とした声が飛ぶ。

「信じるぞ。無事でいろよ」

それが弾みになったのか、モニターの向こうでガタンと音が鳴った。
獄寺がモニターの眼前まで近寄り、叩くようにデスクに手を着いた音だった。

「千崎!……信じてる。無茶するなよ」

みちるは短く息を吐いた。指先が震える。

「千崎さん、気を付けて……」
「離れていても私たちがついているわ、みちる」

獄寺の隣にツナとビアンキが並び、次々に言葉を重ねる。
みちるは彼らの目を見つめ返し、しっかりと二度頷いて見せた。

「はい、そろそろ五分だよ。じゃあ綱吉くん、また四日後にね」

緊張感のない声が割って入る。
白蘭がみちるの隣に並び、モニターに向かって手を振った。その直後、音を立てて通信が終了した。

みちるは真っ暗になった液晶ディスプレイをしばらく見つめた後、袖で目元を拭い、やがてその場に立ち上がった。

「ありがとうございました」

赤い両目が白蘭をまっすぐ見つめる。
白蘭はどういたしまして、と冷たい笑顔を浮かべて言った。

 | →

≪back
- ナノ -