京子とハルは、ツナたちの修行が気がかりで仕方がない様子だったので、みちるは泣き腫らした目でなんとか笑顔を向けた。
食堂の片付けは任せてほしい、二人は自分のしたいことのために動いてほしいと。
他ならぬみちる自身も周囲に甘え、エゴを通し続けた負い目がある――少なくとも、みちる本人はそう考えている。

食堂を出ていく京子とハルの背中を見送っていると、入れ替わりでリボーンとフゥ太が入室してきた。

「あ、みちる姉。後片付けありがとう」
「京子とハルが出ていったな、一人で何してるんだ?」

ピョン、と軽々とみちるのほうへやってきたリボーンは、大きな瞳でじっとみちるの顔を見上げた。

「泣いたのか。どうした、話してみろ」

その言葉を聞いて、フゥ太も気遣わしげな表情を浮かべる。
みちるは一瞬口を噤んだが、視線を逸らさないリボーンとフゥ太に根負けしたように肩を静かに落とし、やがて口を開いた。



* * *



「そう、京子姉とハル姉がそんなことを……」

フゥ太がみちるの洗った食器を受け取り、渇いた布巾で水分を拭い取っていく。
リボーンは小さなカップを傾け、中のエスプレッソを堪能しながら、黙ってみちるの話を聞いていた。

「わたし、何も決めることができなかったよ」

ただ、ショックを受けて、気持ちを制御できず涙を流して、一緒に行かなかっただけ。
京子たちの背中を押すことはできず、だからといってツナたちを守ることもできず、保身に走っただけ。

優しい彼女たちは、正しい行動など自分たちにもわからないから、自分を責めないでほしいとみちるに言った。
京子とハルには、自身の迷いを許してもらった――否、肯定してもらった、そういうことなのかもしれない。
互いに避けて通ってきた問題に、勇気を出して先に目を向けた彼女たちを、みちるは責める気持ちにはなれなかった。

「何を勘違いしてんだ、みちる。おまえは決めなかったんじゃない、“答えを出さない”って決めたんだ」

リボーンが言った。みちるは視線を下げ、小さなヒットマンを見つめる。

「……え…?」
「京子とハルは真実を知った後、何か行動を起こすだろうな。問い詰めるか、知らないふりをして支えるか」
「………」
「それは、あいつらが事情を何も知らないから起こす行動だ。みちるは知ってるんだ、同じ気持ちで動けないのは当然だ」

みちるはリボーンの言葉を聞き、考えた。
この後京子たちが何をするか、その時に自分はどう行動するか。今前に進むために考えるべきことは、それだ。

「京子とハルがおまえに言ったこと、ちゃんと考えろ。あいつらは、おまえが自分を責めたことで、自分たちの行動に迷いが生じたかもしれない」
「………、」
「毅然としてろとは言わないが、みちる、お前はもう少し自信を持て。自分の言葉に責任を持つってことだ。おまえがおまえを責めることで、傷つく人間がいることを忘れるな」

そんなつもりはない。そう言いかけて、みちるは何も言葉にすることができなかった。
いつだって、口に出した言葉に対してあれこれと思い悩む。自分に自信がないからだ。
誰かに伝えた言葉だけではない、自分が自分自身に向けた言葉に対して、誰かが傷ついたり、思い悩んだりすることなどないと考えていた。
だが先刻のハルは言った。みちるに自分を責めないでほしい、それは悲しいことだからと。

「一人で生きてるんじゃねーんだ。おまえが骸のところから帰ってきたとき、傲慢バカって言ったこと覚えてるか?」

リボーンの叱咤に、みちるは頷く。

「おまえは一人じゃないし、一人で頑張る必要はないんだ。一人で何か成し遂げられると思うな。いつも、周りに元気や勇気をもらってるんじゃないのか?」
「……うん」
「おまえに、誰も役立たずなんて言わねーだろうが。おまえだってちゃんと、支えてるんだ」

フゥ太が、心配そうにみちるとリボーンの顔を交互に見つめる。
みちるはリボーンの顔を見つめ、時折考え込むように視線を落としていた。

「それがわかんねーなら、おまえはちっとも成長してない傲慢バカだ。どうなんだ、みちる」

フゥ太は思わず割って入りそうになる気持ちを必死に抑えていた。
自身は本来はみちるよりも年下だが、今ここにいるみちるは中学生だ。見えていないことが多くても、自己肯定感が低いことも、仕方がないと感じる。

みちるはこのアジトに来てからの出来事を思い返した。
再会した友人たちに、仲間たちに、あたたかい言葉をかけてもらった。
知らないことがあることも、逆に知っていることがあることも、誰一人として責めることはなかった。ただみちるの身体と心の状態を案じてくれた。
みちるの行動と思いに、感謝の言葉すらかけてくれた。当然のこととして、守り、受け入れてくれた。
自分はこのままで良いのだろうかと、繰り返し考えていた。
だが、“このままの自分”を誰よりも許せないのはみちる自身であり、許せないからこそ、次のステップに進むことを放棄していたことに、みちるはやっと気付いた。
迷うことすら、立ち止まることすら、次のステップに進むことなのだと思えずにいた。
京子とハルも迷っていた。きっと、自分たちの行動が、ツナたちの足を止めてしまうことを恐れていたのだろう。
それでも彼女たちは、迷いながらも、“自分たちが次のステップに行くこと”を肯定したのだ。それがツナたちの力になると信じたかったから。

「……ごめんなさい。みんなにもらった嬉しい言葉も、なかったことに、なっちゃうところだった……」

次のステップは、今の自分を知り受け入れること。
それは、他人に対して明るく前向きなこととは異なる。
みちるは顔を上げた。その表情を見つめ、フゥ太がほっとしたようにみちるに微笑みかけた。

「みちる姉。そうだよ、僕言ったでしょ。みちる姉は、ツナ兄たちがマフィアだって知ってるから、たくさん支えられるんだって」
「うん、……覚えてるよ」
「みちる姉は、みんなを傷つけないようにびくびくしてるけど、それは優しいからだよ。ちゃんとみんなには伝わってる」
「フゥ太。みちるをあんまり甘やかすなよ、どうせすぐへこむんだからな」
「リボーンは言い方がきつ過ぎるよ。僕ひやひやしちゃった」
「俺は家庭教師だからな。一番効果のある言い方をしただけだ」

みちるは目の前の二人のやりとりを見つめ、ゆっくりと息を吐きながら肩を竦めた。

「……うん。誰もそんな厳しい言葉は使わなかった。ありがとう、リボーンくん。わたし絶対忘れないよ」
「みちるは真面目だな。ま、これからは少しは優しい言葉も身に沁みるようになるだろう。おまえ次第だけどな」
「うん……」

ただ言われたことを素直に聞くだけではない。だからこそ難しい。
それでも、優しい人たちが力を貸してくれる。きっとそれは、自分にもできることがあるからだ。

わたしも――ぐずぐずと足を止めているわたしも、ちゃんと進んでいる。そう、信じる。
だって、大切な仲間たちが、わたしを信じてくれているのだから。



* * *



「話してくれてありがとう。……うん。わたしも、京子ちゃんとハルちゃんの思いの邪魔はしたくない」

洗濯場で顔を合わせたハルに呼ばれ、みちるは再度、京子とハルの正面に座り彼女たちの“計画”を聞いた。
今夜、ツナたちのもとへ直接出向き、状況説明を求める。
交渉が決裂した場合、共同生活のボイコットを宣言する。家事によるサポートのストライキだ。

みちるは京子とハルに、ゆっくりと自身の考えを伝えた。
もしボイコットとなった場合、自分だけ勝手なことをしては中途半端な状況を招く。足並みを揃えるため、行動面は女子側につく。

「……みんなが前に進むために、きっと必要なんだって思う。一緒に生活してるんだから、どっちかが我慢したら、やっぱり上手くいかないんだね……」

ずっと我慢し続けた結果がこの状況なのだから、仕方がない。
もちろん、ツナたちが何も我慢していないとは思わない。迷っていないはずがない。
自分が気がかりなのはきっとそこだと、みちるは思い至る。自分にできることは、“知っている側”として関わっていくことだけだ。

「もし……沢田くんたちがつらい思いをしていたら…何か違うなって思ったら、ちゃんと二人の思いを考えて、わたしなりに関わってみる。……いいかな」

京子とハルが顔を見合わせる。みちるはその様子を、どきどきと高鳴る心臓を抱えながら見つめた。
勝手だろうか。余計なことだろうか。本当は彼女たちが誰より、それをしたいはずなのに。

「よろしくお願いします、みちるちゃん!」
「そうだよね。もしお料理とかみんながすることになったら、心配事ばっかりだもん」
「はひっ……言われてみれば!けど、ハルたちが見張ってちゃ意味ないですし……」

京子とハルは笑顔で言った。
だが、新たな心配事が生まれてしまった様子だ。

「洗濯機やキッチン、壊されちゃ困るもんね」
「皆さん、お料理とかお洗濯、自分でできるんでしょうか……?」
「そっ、そもそも、交渉が上手くいけば心配いらないし……とりあえず、ねっ……?」

みちるはおろおろとフォローを入れながら、いつも通りの雰囲気にほっと胸を撫で下ろしていた。
彼女たちはずっと前を向いている。そしていつだって、ツナたちを支えようと行動している。
同じ思いのみちるを咎めるはずなどなかったのだ。

「ありがとう、京子ちゃん、ハルちゃん」

みちるはゆるりと微笑んで言った。

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