朝食後、守護者たちとディーノ、ビアンキ、イーピンは席を立ち、匣兵器を使った修行のためトレーニングルームへ向かっていった。
その場に残った京子とハル、そしてみちるは、食卓を片付けるために各々手を動かし始めた。
食器をシンクに置き、水道の蛇口に手を伸ばしかけたみちるの後方で、京子とハルが真面目な表情で目配せをする。

「みちるちゃん、ちょっといいですか?」

意を決したように口を開いたのはハルだ。
みちるは「ん?」と言いながら呑気な笑顔で振り返ったが、視線の先の京子とハルは笑ってはいなかった。

「……なに?」

声を潜めた京子に、ここに座ってと促され、みちるはどきりと跳ねる心臓を抑えながら、食卓の椅子を引いた。
神妙な雰囲気に、みちるはごくりと唾を飲み込んだ。
正面に、京子とハルが並んで座っている。まるで面接だ。自分だけ知らない何かを告げられるのだと、みちるは内心で察していた。

「これから、ツナくんたちの修行を見に行こうと思うの」

京子が言った。みちるは京子の目を見つめた後、ハルの顔を見た。ハルも無言で頷く。

「……それは、なんで?」

みちるは口許だけ無理やり笑顔をつくり、二人に尋ねた。
心臓がばくばくと、大きく脈打ち始める。彼女たちには決して知られてはならないと思い込んでいた、その後ろめたさから。
だが、京子とハルはみちるが感じている重たい空気とは少し違うものを纏っている――みちるはそんな気がしていた。
どこか、浮足立っているのだ。現状への不満はあるがその真の全容は知らない、これから自ら暴いてやるんだという、高揚した使命感。
心臓が焦って全身に血を巡らせるのに、頭や指先は冷や水を被ったように冷たい。みちるは必死に、次に飛び出す言葉とその返事を考え続けていた。

「ツナくんたちがやってること、ちゃんと知って、もっと力になりたいって……ハルちゃんと話したんだ」
「みちるちゃんも、何もわからないのに頑張るなんて、もうできないって思いますよね?」

ハルが座ったままでみちるのほうへ身を乗り出す。京子はその場で、淡々と言葉を紡いだ。
みちるは唇が震える感覚を覚え、そっと口を閉じ合わせた。
こんな時が、来るような気がしていた。心のどこかで。
京子に、洗濯場で「ツナくんたちに訊いてもいいと思う?」と質問され、必死に思いを押し込めていたことを知った時から。
いつも健気にツナたちを支え続ける陰で、頬に涙の跡が残るハルの姿に気付いた瞬間から。
本当は自分がここに来るまでずっと、半月以上、真実を知らないまま我慢し続けていた彼女たちがいたことを知ってから、みちるはずっと、この瞬間を恐れていた。

自分だけは知っていることへの後ろめたさ。
京子とハルがずっと我慢していることも、心配をかけまいとごまかし続けるツナたちの思いも、みちるは知っていたから。
どちらの気持ちもわかることが、どちらをも裏切ることになるのではないかと、みちるはずっと、恐怖していた。

みちるの視線が何も載っていない食卓に落ち、京子ははっと息を呑んだ。

「みちるちゃん、……あの、気が進まないなら」

京子が気遣うようにそう言った。
みちるは素早く顔を上げ、「ちがう、」と彼女の言葉を遮った。

「……違うの。あのね、……わたしは………、知ってるの」

ハルが「え?」と声を零す。
みちるはその瞬間、言い訳や保身の感情が滲み出そうになるのを、必死にこらえていた。握った手の中で、爪が手のひらに食い込む。
ちゃんと伝えなければならない。裏切っているかどうか、決めるのは自分ではない。判断をするのは、目の前の、暗闇で苦しんでいる彼女たちだから。
目の奥が熱くなるのを感じる。だが、泣きながらでも、伝えなければならない。

「……聞いて。わたしは……、沢田くんたちがどうして修行しているのか、何をやり遂げようとしているのか、知ってる」
「…………」
「みんなが、なんで京子ちゃんたちに黙っているかも、知ってる」
「……それは、ハルにもわかります。ツナさんたちは、私たちに心配をかけまいと……」

ハルの言葉に、みちるは口を開きかけ、だが何も言えずに再び閉口した。
ハルの言う通りだ。だが、迫っている現実はそんなに生ぬるいものではない。
今この世界で起こっているのは、ボンゴレファミリーに関わる人間を根こそぎ殺すという計画の只中なのだから。

みちるは悩んだ。
今、自分は彼女たちを、腕ずくで止めるべきなのだろうか、と。
だが真実を話す権利は、みちるにはない。京子とハルも、ここまで行動を起こしたからには、たとえ部分的に真相だとしても、みちるの言葉だけで納得するはずがない。

「どうして、みちるちゃんは知ってるの……?」

京子が、みちるに尋ねた。
みちるはとうとう、目に涙が滲む感覚に顔を伏せた。

本当は最初から、知らない時などなかった。
最初から、守護者でもないのに、ボンゴレの血筋でもないのに、みちるは輪の中に入れてもらったあの日から、当たり前に、ボンゴレファミリーだった。
運が良かっただけだ。
偶然が、奇跡になっただけだ。
「マフィア・ボンゴレファミリーのことを知っている側」になった日から、知る権利を与えられ続けただけだ。
京子より、ハルより、優れている面などひとつもない。みちるの中から“千崎スイ”が消えた日から、みちるは失ったのだ。

「……ごめんね、言えない。……言えないことを、わかってほしいなんて、言わないから」

みちるは袖で涙を拭うと、顔を上げた。
この涙は、後悔ではない。みちるは、「知っている側」にいることを、後悔はしないから。
京子たちに対して、優越もない。あるのは、目の前の大切な友達に、この事実を告げることで裏切り者と断罪されるかもしれないという、恐怖だけだ。
だから、涙を見せるのは許されない。つらいのは自分じゃない。紛れもなく京子とハルなのだと、みちるは心に叱咤を繰り返した。

「これを話すのは、沢田くんたちに関係ないって言いきれないから、言えないの。……ごめんなさい」

みちるは二人の両目をじっと見つめて、そう言った。そうして、頷くように顔を下に向け、目を閉じた。
ボンゴレファミリーの話を避けて、理由を話すことは不可能だ。そう考えると、やはりどこにも逃げることは適わなかった。
自分の言葉で誰を守ろうとしているのか、みちるには判然としなかった。
せめて、ツナたちの気持ちに寄り添っていたい。だが、これで良かったのか、みちるにはよくわからなかった。

自分は、今はもう知っているだけ。
京子やハルが、彼らを支えてきた時間を、尊く思う。一緒にいること、笑顔を向けること、家事でサポートすること。
後からこの場に来た自分が、気後れしている自覚はある。
京子とハルがずっと一緒に思いを共有してきて、不安や不満を募らせてきたことに対する、ほんの少しの空恐ろしさがある。
そして、そんな黒い感情を胸に秘める自分を、嫌いで仕方がなく感じる。

「……だから、ごめん。わたしは、二人と一緒には行けない」

修行を見に行くと言った京子とハルの誘いへの答えを、みちるは震える声で絞り出した。
これが最良だったのかわからない。だが、これ以上、なんと言えば良いのか、みちるには見当もつかない。

ふいにみちるの肩に、置かれた手があった。
食卓を隔てて反対側にいたはずの京子とハルがいつの間にか席を立ち、みちるの隣にやって来ていた。

「みちるちゃん。みちるちゃんはツナくんたちにとっても、私たちにとっても、大事なお友達で、仲間だよ」
「私たちのこと、怒ったっていいんですよ。どうしてツナさんたちを信じて待てないんだって、止めたっていいんです!」

京子が少しだけ微笑んで、ハルは焦ったような表情で、みちるにそう言葉をかけた。
座ったままのみちるが驚いたように顔を上げる。ハルと目が合った。

「私たちもずっと迷ってたの。……だから、みちるちゃんの気持ちも、ダメだなんてことは絶対にないから」
「そうですよ!!だから、そんな風に自分を責めないでください。そんなの、悲しいですよ」

焦りを深めた様子のハルが、ぽんぽんとみちるの背中を叩く。
みちるの目にみるみるうちに涙が溢れ、やがて零れた。

京子とハルは、みちるが違う道を選ぶことを肯定してくれた。
良いも悪いも、みちるは決められなかった。ただ、言えないという事実を主張しただけだ。

「ありがとう」という言葉は違う気がして、みちるはただ、落ちる涙を両手で拭い続けていた。

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