歓迎会では、京子とハルが腕を振るったごちそうが振る舞われた。
修行を見ていたみちるはまんまと出遅れ、ろくに手伝わせてもらえなかったが、「みちるちゃんは歓迎される側なので!」と言って、京子たちはなかなか仕事をみちるに手渡そうとしなかった。

「それにみちるちゃんには、今日はお洗濯も買い物もしてもらったから。ね、ハルちゃん」
「そうですよ!今日はもう私たちに任せて、のんびりしてください!」

そんな次第で、彼女たちの心のこもった料理を堪能しながら、みちるは周囲の仲間たちと楽しいひとときを過ごした。
思い返すと、このボンゴレアジトに来てからゆっくりとどこかに留まって誰かと話す時間など、ないに等しかった。
正一と話す時間は与えられたが、リラックスタイムと呼ぶには、あまりにも思考を巡らせ続けていたように感じる。

「みちる姉。疲れちゃった?」

うっかり漏れ出た欠伸を右手で覆い隠していると、不意に隣に並んだフゥ太がくすくす笑いながらみちるに尋ねた。
みちるはフゥ太の顔を見上げると、「ごめんね!……うん、ちょっとだけ」と素直に白状をした。

「そうだよね。朝はみんなの洗濯して、午後は久しぶりに会う人と一緒に買い物だもんね」
「………言われてみれば、そうかも」

しかも、今朝はやたらと早起きしてしまった。
元々の原因は、昨日、雲雀と会っていたことだ。部屋に逃げ帰り、グルグルと混乱する頭をどうにもできず、やがてそのまま眠りについた。
ボンゴレアジトに来てからたったの二日間。色々なことがあった。
思い出すと体温が上がりそうで、みちるは手に持っていた氷入りのジュースのグラスを、勢いよく喉の奥にかっ込んだ。

「ど、どうしたの?みちる姉」
「なんでもないの!でも、今日は早めに休みたいなって……」

断じて嘘ではない。
心地よい身体の疲労感と同時にじわじわと押し寄せる眠気が、みちるのまぶたを重くする。
今の自分はろくなことを口走らないだろう。不機嫌に見られるのは本意ではない。僅かに残った体力で、この後お風呂に行かなければならない。
フゥ太に付き添ってもらい、京子とハルとビアンキに一足先に休ませてもらいたいと告げると、優しい彼女たちは体調が悪いのかと眉を八の字にした。

「ううん、そうじゃないよ。ただ、今日は意外と疲れてたみたいで……」
「そうだよね。あとのことは気にしないで、ゆっくり休んでね」
「ありがとう、京子ちゃん。でもその、後片付けとか……」
「明日の朝やりますから、なんにも心配いりません!」
「……うん。ありがとう」

「タケシ兄やハヤト兄には、僕から言っておくから。廊下まで見送るよ」

フゥ太に袖を引かれ、内緒話のように耳元で告げられる。
みちるは苦笑を浮かべ、ありがとうと返事をした。
心配性の彼らに、本来であれば自分の口から告げるべきことだ。だが、今はフゥ太の優しさに甘えることにした。

(ずっと、フゥ太くんの影に隠してもらっちゃったなぁ……)

後ろめたい気持ちがないわけではない。
だが、急にわからなくなった。適切な距離感や、彼らの前で自身がつくるべき表情が。
側にいると急にうるさく捲し立てる心臓を、御する術をまだ知らない。ただ普通にしていることが、これほど大変だとは。

「おやすみ、みちる姉。また明日ね」

扉を後ろ手に閉め、フゥ太は首を傾げて笑った。
みちるはおやすみ、と呟いた後、一拍分考えて、再度フゥ太の顔を見上げた。

「わたし、普通に見える?」

フゥ太が目をまるくする。
目の前に立つみちるを見た。
ほんの少しだけ垂れ下がる眉は、いつも誰かを気遣い、傷つけまいと心を砕くみちるの心情をよく表している。
すぐに赤くなる頬も、落ち着きなく動く唇も、見慣れた表情だ。
フゥ太がよく知る24歳のみちると、大きくは変わっていない。
いつだって今の自分よりも、より良い存在になりたいと考え続ける彼女は、きっともっと自信が滲み出るような表情を常に浮かべていたいのだろう。

「うん。一生懸命なのが、みちる姉らしくて良いと思う」

今度はみちるが目をまるくした。
思ったような返事がもらえず、だが想像以上の褒め言葉と捉えたのか、みちるは黙ったまま頬を紅潮させた。

「……えっと。わたし、いつもと変わらない?」
「うん。一緒」
「じゃあ、いい。ありがとう。ごめんね、引き止めちゃって」
「みちる姉。もしかして僕、へこませちゃった?」

フゥ太が不安げな表情でみちるの顔を覗き込んだ。
みちるは素早く首を横に振ると、「ううん!そんなことない」と言った。

「色々あって、ちょっと…心が落ち着かないから、周りから変に見えてないかなって心配だったの。言葉足らずでごめん」
「そういう意味だったんだね。心配ないよ。全然、普通」
「本当?よかった。ごめんね、わたしフゥ太くんに甘えてばっかり」
「いいよ、嬉しい。眠いのにごめんね、おやすみ、みちる姉」
「うん。……フゥ太くんは、10年前と変わらず優しいね。おやすみなさい」

手をひらひらと振って、みちるはフゥ太に背を向け歩き出した。
フゥ太は引き戸に手を掛けながら、みちるの言葉を反芻し微笑んだ。優しい。

「10年後のみちる姉も、全然変わってないよ。たくさん努力してちゃんと成長したのに、いつもおろおろして、優しいまま」

みちるが眠くない時に、ちゃんと教えてあげよう。
フゥ太はひそかに決意しながら、歓迎会の会場に戻っていった。



* * *



――段々と、行動時刻が朝に寄ってきている。
たっぷり睡眠を取ってすっかり回復したみちるは、アラームを告げる前の目覚まし時計を手に取って、そんなことを考えた。
時刻は朝五時半。確か食堂の開放は六時半だ。さてどうしたものかと、身支度を終えた姿ですとん、とベッドに腰を下ろす。
早く布団に入ったのだから、早く目覚めるのは道理だ。しばらくそのままでいたが、みちるは不意に、弾かれるように立ち上がった。
歓迎会の片づけがまだ終わっていないはず――。
そこに思い至ると、水を得た魚のように、みちるは軽い足取りで部屋を出た。食堂に行けば仕事がある。指示がなくともできることはあるだろう。

みちるが廊下に出ると、エレベーターに向かうまでの道程を照らす照明が音もなく点灯した。
静かな廊下に足音だけが鳴り響く。みちるは早朝であることを思い出し、物音を最小限にすべく、慎重に足を踏み出した。
朝食まではまだかなり時間がある。だが、昨日そうだったように、山本などは自主練に精を出しているかもしれない。
もし朝食の席で男子たちと会話をすることがあれば、どんな調子か聞いてみよう。そして、頑張ってねと言って笑おう。
明るく背中を押すことが、今の自分にできる最善だと信じて、せめてわたしのことで心配をかけぬよう、やっていくのだ。

昨夜の歓迎会の会場でもあった大食堂の入口が見えてくると、何やら物音が聞こえてくることにみちるは気付いた。
陶器やガラスの食器同士が当たり、カチャカチャと音を立てている。
誰かが既に、食器を重ねて片づけているのだろう。みちるは思わず早足になり、大食堂へ入った。

「……イーピンちゃん、クロームちゃん……」

そこにいたのは、みちるのよく知る姿の、クローム髑髏とイーピンだった。
イーピンは無邪気な笑顔で、嬉しそうにみちるに手を振る。
みちるは「おはよう、イーピンちゃん」と言いながら足元のイーピンとハイタッチをした。

「…みちるちゃん」
「クロームちゃん!おはよう。無事だったんだね、よかった」
「……みちるちゃんも。よかった」

クロームが頬を赤らめて微笑む。みちるもつられて笑った。
ろくに食事を摂っていないと、話では聞いていた。全く姿を見せない彼女を気がかりに思いつつも、みちるはどうして良いかわからず、何も行動に移せないでいた。

「ごめんね、出遅れちゃったね。わたし、壁の飾りつけを外しちゃうね」
「うん。……ありがとう」
「そんな、こっちこそ!今日からは、ここでごはん一緒に食べられる?」

みちるのうきうきとした問いかけに、クロームはこくりと頷いて見せた。

「そっか!嬉しいな」

へらりと呑気に笑うみちるの隣で、イーピンも笑顔で何やら言葉を発している。
「イーピンちゃんも嬉しい?」とみちるが尋ね、イーピンが身軽に飛び跳ねながら返事をした。
壁の飾りつけに向き合う二人の背中を見つめ、クロームはありがとうと再度呟いた。

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