「はっきりしないから意識するんだ。認めちまえ、みちる」
「……い、いやその……それが、本当にそうなのかも、わからないっていうか」

ベンチに並んで腰かけながら、小さな家庭教師に指南を受ける。おそらく、恋愛の。
目の前では依然としてバイク走行の練習が繰り広げられている。

先刻、ビアンキと短い会話をした後、「あなたは戻る?それとも、修行を見ていく?」と再確認をされた。
みちるは少し考えた後、見ていくと答えた。ビアンキはにこりと笑いかけ、再度、トレーニングルームの扉を開けた。
予想通り、修行中の男子たちは揃ってみちるを心配し駆け寄ってきた。みちるはその言葉に一言ずつ丁寧に大丈夫だよと返し、リボーンとビアンキと並んでベンチに腰を下ろしたのだった。

山本と目が合った瞬間、急激に身体が熱くなったのは確かだ。
だが、その後獄寺に名前を呼ばれた時も、胸の中で心臓が大きく音を立てた気がした。

彼らのせいにするつもりは微塵もない。
だが、みちるの中にはひとつの仮説があった。
山本にデートに誘われたことと、獄寺に「近くに行きたい」と宣言されたこと。
ストレートに受け止めるならこれは“好意”だ。
みちる自身の自己肯定感の低さから、心のどこかで否定し続けてきた彼らの感情を、「裏切りたくない」という一点から、否定せず一旦受け止めるとして。

「………考えれば考えるほど、わたしなんかなんにもないのに、って……」

核心的なことは、何も言われていない。
だから、これまでと変わらないままでいなくてはならないのだ。
好意は嬉しい。胸がふわふわと弾む。おそらく、浮かれている。
そして、好意には同じだけの好意で応えたい。嬉しかったから、相手にも喜んでもらいたい。

「……でも、何を喜んでもらえるのか、知らないよ。わたしは、……わたしは一人しかいない、し」

言葉尻が、どんどん小さくしぼんでいく。
今、自分が何をできるのか、みちるには本当に疑問だった。
一人しか、いない。自分も、そこに向かい合う相手も。
たとえ嘘ではないとしても、両方の手を取ることは、不遜だ。

こんなことを考えれば考えるほど、自分一人の勘違いであってほしいと願ってしまう。
思い上がりであってほしい。そうすれば、傷つくのは自分だけで済むから。

「大切な人を傷つけたくないのは、誰だって同じだ。だから、伝えるタイミングや言葉を考えるんだ」
「え……?」
「みちる、おまえ、傷つけたくないから悩んでるんだろう。それ、相手も同じことを考えてるぞ」

みちるはリボーンを見た。
リボーンは、にやりと笑顔を浮かべたまま、正面の教え子たちを見ていた。
みちるも視線をトレーニングコースに向けた。バイクを走らせる彼らを、純粋にかっこいいと、すごいと思った。

「みちる、おまえは、もらった言葉を覚えておいてやれ。そして、待ってやれ。覚悟が決まった奴から動く。その時に悩んだって遅くはないぞ」
「………」
「案外、みちるが最初に覚悟を決める奴になるかもしれないしな。いくらでも悩め。大丈夫だ、死ぬ気で悩んでも、おまえは死なない」

リボーンがそっと、小さな手でみちるの手にふれた。
死ぬ気で悩んでも死なない。なんて、厳しくて優しい言葉だろうか。
みちるは、悩めば悩むほど心臓が痛む心地がしていた。いつまで経っても誰にも何も返せない自分を、のろまだと叱られている気がしていた。責めているのは、自分自身でしかなかったのに。

「あと、これだけは言っておくけどな、みちる。傷つくのは当たり前のことなんだ。傷つかないで誰かを好きになるのは、無理だ」

リボーンの言葉をひとつずつ大切に噛み砕きながら、みちるは考えていた。
やはり、おそらく、今自分の中で、そして頭に浮かぶ彼らの中でやりとりをしている感情は、恋なのだと思う。

「相手を傷つけるかもしれないって、怖がるなよ。それこそ、何もできなくなっちまうからな」

みちるがリボーンの顔を見ると、リボーンもみちるの顔を見ていた。
ずっと考えていた。今度は、自分が大切な人たちに、恩返しをしていくのだと。伝えたいことは、伝えていくのだと。
何か思いを伝える時、そこには責任が伴う。傷つけるリスクが付きまとう。言葉は刃物だ。それを忘れてはならない。だから、怖いのだ。
だが、そんなリスクを抱えながら、誰もが気持ちを伝えてくれた。みちるの世界を明るく照らし、背中を押してくれたのだ。

怖くても、やっぱり伝えたい。だから、悩む。考える。

「…うん、ありがとう。ビアンキさんも、ありがとうございます」
「うふふ、どういたしまして。やっぱりリボーンはすごいわ」
「うん、本当に……」

「……みちる。身体、大丈夫か?」

ふと、みちるの半身に陰が落ちる。はっとして顔を上げると、バイクを降りた山本が立っていた。
みちるが反射的にリボーンのほうを見ると、ビアンキの膝の上に座った彼はにやにやとみちるを見つめていた。ビアンキも、涼しい顔をしながらも、目の奥がなんだか意味深ににやけている。

「あ…えっと、うん。平気。ありがとう」
「そうか?……ん、でも、顔色良さそうだもんな」

山本が安心したように破顔したので、みちるもつられて微笑んだ。
みちるはベンチの端に積み上げてあった新品のタオルを手に取ると、山本に手渡した。

「汗かいてるよ。休憩したらどう?」
「そーかな?けど、うわ、手汗すげぇ」

グローブを外すと手の平がじんわりと湿っている。山本はそれに気付くとおかしそうに笑った。

「あの、山本くん。前輪上げて走ってたよね、さっき」
「ん?あ、あれな。やってみたらできたからさ。見てたのか?」
「うん。すごいなぁって思って……見ちゃうよ、すごいんだもん」

みちるが目を輝かせて説明するのを、山本はじっと見つめていた。
我ながら、子どものような言い方しかできない。そんな思いでみちるはしゃべっていたのだが、ふと山本の表情を伺い見ると、山本は照れくさそうに、口をむずむずと動かしていた。その頬はほんのり赤い。

「そっか。みちる見てたんだ。ありがとな」

山本にまっすぐ目を見つめられ、みちるは「うん」と答えたきり、何も言えなくなってしまった。体温が、少し上がる感覚がする。
やっぱり、彼に目を見られるとどうにも落ち着かない。だが、目の前で会話をすることはできる。逃げたい衝動は、理性でコントロールできる。

(ちょっとずつ、やっていくんだ。……伝えたら喜んでもらえるのは、嬉しい)

みちるの決意など知る由もない山本は、「タオル、俺の荷物のとこに置いといてくれ」と言って畳んだタオルをみちるの手の中に置き、バイクに跨った。
そんな山本の背中を見送っていると、ふとどこからか、新品のタオルがみちるの頭に飛んできた。
急に奪われた視界に、みちるは混乱して頭上のタオルを引っ掴んだ。ぐい、と前方に引っ張られる感覚に恐怖を感じタオルから手を放すと、獄寺が渋い表情で目の前に立っていた。

「わ!ご、獄寺くん……びっくりしたよ」
「……どうしたんだよ、さっき」
「え……あ…、心配かけてごめんね。ちょっと…えっと、立ちくらみで」

獄寺の刺さるような視線を感じ、みちるは顔ごと背けた。

「………あっそ」

獄寺はふう、と息を吐きながらみちるから視線を外した。
深く追求しないのも、視線を向け続けないのも、獄寺がよくやる気遣いだとみちるは知っていた。

「タオル……ごめん、手渡せばよかったね」
「あ?別に」
「だって、ビアンキさんいたでしょ、ベンチに」
「………千崎が謝ることじゃねーよ」

獄寺がこちらを見ていないのをいいことに、みちるは獄寺の横顔を見つめた。
獄寺は不愛想でありながら常に気遣い上手だ。どうやったら、彼に喜んでもらえるのだろう。

「今日、歓迎会なんだろ。千崎の」
「え?……うん、了平先輩とバジルくんも。なんで知ってるの?」
「……アネキがにやついてやがったから聞いたんだよ」

おそらくそのにやつきは、わたしが男子と話しているのを見ているからだ。
……と、馬鹿正直に獄寺に言えるはずもなく、みちるはベンチを振り返った。ビアンキとリボーンがにやつきながら、みちるに気付き手を振った。

「楽しみにしててね。八つ橋あるから」
「は?八つ橋?」
「うん。獄寺くん、たまに通販してるよね?好きなのかなって」
「……まぁ、俺が好きっつーよりかは……別に嫌いじゃねーけど」

正一と買い物に出た時、たまたまスーパーマーケットでは「全国お土産フェア」を開催中だった。
そこで生八つ橋が目に入って、獄寺のことを思い出したみちるは、ごちそうのデザートの中に異彩を放つものがあっても良いのではないかと思い購入したのだった。

「ま、ありがとな」

獄寺がそっぽを向いたままそう言ったので、みちるは「うん」と答えて笑った。



夏祭りの花火の日、両側に座った獄寺と山本が、みちるの手をぎゅっと握っていたことを、みちるは不意に思い出した。
ひょっとしたら、もうあの日には。……いいや、もっと前からかもしれない。
思い出せる限りのみちると彼らの大切な日々の中は、いつだって、彼らの優しさに満ちていた。

(………わたしはずっと、ちゃんと気持ちを、返せてたのかな)

みんなとずっと一緒に、笑っていられますように。
七夕の笹に託した願いは、今この瞬間は実現していると言えるだろうか。
神様にお願いするだけでなく、自らの手で運命を切り開こうと努力する仲間たちに、感謝の一言だけでは足りない。

それでも、わたしはこのままで良いと……彼らは、言ってくれるのだろうか。

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