「雲の刻印のついた指輪の話がしたい」

そう言いながら現れた青年の後ろから、ひょっこりと応接室を覗き込む少女を見つけると、雲雀は小さく微笑みながら立ち上がった。



「みちる、授業はいいのか?」
「どうせ勉強なんて手につきませんから…」

「どうでもいいから、早く始めようよ」

雲雀恭弥の専属家庭教師はディーノだった。


雲雀・ディーノ・ディーノの部下であるロマーリオ、そして千崎みちるの四人は、並盛中の屋上にいた。

ディーノは雲雀の家庭教師でありながら、みちるの護衛でもあった。
みちるは自身の教室へ行き授業を受けなければいけない身分なのだが、応接室へ向かうディーノへそのままついて行き、現状に至る。

雲雀は、自分のもとへやって来た「リボーンの知人」と名乗るディーノを骨のある攻撃対象と見なし、彼の修行に付き合うことにしたのだった。
が、彼の好奇心はディーノのみに向けられているものではないようだ。
そのことに気付いているのは、一癖も二癖もあるボスであるディーノに付き従う、“大人”のロマーリオただ一人だった。

「みちる嬢、いつまでそうやって慌ててる気だ?」
「だだだだって、でぃ、ディーノさん、今、トンファーあ、当たっ、血が、血」
「落ち着けって。ボスなら大丈夫だ」
「け、けど…雲雀さんですよ…」

「確かに強いな」ロマーリオがぽつりと呟くと、みちるははわわと変な声を漏らした。
ロマーリオは慌て続けるみちるを見て、また苦笑する。

「みちる嬢は、俺たちのボスがそんなに弱いと思ってるのか?」
「そっ!そんなことないですけど!!」
「なら大丈夫だって。それより、授業に出ないなら、少しお遣いを頼まれてくれないか?」

「おつかい?」みちるが聞き返すと、ロマーリオはみちるの手の平に小銭を握らせた。

「俺たち四人分の飲み物と、昼飯代だ」
「うえ!?え、あの、お遣いは構いませんけど、お昼は…わたしお弁当持ってますよ」
「あ、そうなのか。じゃあ、それはあいつの分ってことで」

ロマーリオは、先ほどまで飲んでいた缶コーヒーの空き缶を左手に持ち、右手の親指で雲雀を指差した。

「俺がここを離れるわけにはいかないからな」

そのまま親指をディーノのほうへずらし、彼は笑った。
みちるもにこりと笑って答える。ディーノは部下がいないと、とんだへなちょこなのだ。



「あの子をどこへ行かせたの?」
「あ?ああ、みちるのことか?」
「どうして彼女が貴方と一緒に行動しているわけ」
「なんだ、お前みちるのこと気に入ってるのか」

ディーノは、雲雀の一直線な攻撃をほぼ全ていなしていた。
が、みちるのことを尋ねる雲雀に、軽い調子で逆に質問をぶつけると、途端に雲雀の眼光が鋭くなった。


「僕の質問に答えてよ」


ディーノは一瞬のうち、背中にぞくりと寒気を感じた。
雲雀の攻撃が動きを変える。単調から変調へ。この短時間で、戦闘センスを身につけたようだ。
ディーノはとっさに身を引く。不恰好な避け方だった。雲雀がいやらしく笑う。ディーノは小さく舌打ちを漏らした。

「…俺は今、リボーンに頼まれてみちるの護衛をしているんだよ」
「気に入らないね、その…呼び方」
「あ?」
「貴方は、気に入らない」

「けど、あの子はもっと気に入らないよ」雲雀は独り言のように呟いた。
ディーノは一瞬目を見開いたが、相変わらず臨戦態勢の雲雀の姿を認めると、すぐに真剣な眼差しに戻った。

「ふん、本当に懐かしいぜ。中学生ってやつはいいねぇ」
「ねぇ…真面目にやってくれる?」

雲雀の眼差しは、さながら獲物を狙う肉食獣のようだった。
彼は、ディーノと相対するとどこか楽しそうでもあったが、今は冷静さを欠いている。ディーノはにやりと笑んだ。

「今は授業中さ。どうしてあの子がここにいるんだ」
「それを言うならお前だってそうだろ。ああ、でも修行の説明がまだだったな、」
「うるさい。いらないよ」

変調はまた、単調へ。雲雀の調子が落ちたというよりは、ディーノの反射神経が雲雀の急成長に追いついたのだ。
ディーノがステップする。屋上の金網に、角に、雲雀を追い詰める。
雲雀は鋭い眼光をますますぎらつかせながら、しかしディーノを跳ね返す術がなかった。戦闘経験の差だ。

「言っただろう、お前にはもっと強くなってもらうんだってな」

優位に立つディーノが雲雀を見下ろす。雲雀はぴくりと小さく、頬の筋肉を引きつらせる。
頭に血が上っていた。この男は気に入らない。自分が負けるわけがない。頭をちらつくのは、ここにいないはずの、みちるの気の抜けた笑顔。

――気に入らない。

雲雀が前に出た。ディーノはひらりと身を引く。
今の雲雀の攻撃は単調な分、力任せで無遠慮だ。
ディーノはひとまず避けることに集中した。それがいけなかった。
彼のすぐ後ろで、屋上の重い扉がゆっくりと開けられたのだ。

「、!」
「う、わ!」

みちるが購買の袋を提げ、屋上に戻ってきた。
彼女が最初に目にしたのは、こちらに向かってくるディーノの背中と雲雀の右手に握られたトンファー。
みちるの防衛本能は、彼女に「危ない」という危険信号を知らせたのみだった。あまりに咄嗟の出来事すぎた。

「みちる、っ!」

みちるがぎゅっと目蓋を閉じた。
次の瞬間、みちるの両足が地面から離れた。ふわりとあたたかい感覚。が、それも一瞬だった。
どすん!と大きな音がしたかと思うと、みちるの身体は重力に従い、落ちた。――ディーノの腕の中に。

「ひ、ひぇえっ!?」
「う、ゲホッ… 悪い、だ、大丈夫かみちる!?」
「は、はひ…」

はひってなんだハルちゃんか。みちるはぐるぐるする視界を懸命に正常に戻そうとしながら、ぼんやりとそんなことを思った。
焦点が合い始めると、真っ先に目に入ったのは呆然と自分を見下ろす雲雀の顔だった。
みちるが「雲雀さん」と呼びかけようとしたが、それは叶わなかった。
ディーノがみちるの顔を、焦りながら覗き込んだのだ。正面から顔を突合わされ、みちるは「わっわわわ!」などと言いながら後ろに一歩退いた。
が、思うように動けなかった。あぐらをかくようにしゃがんだディーノがみちるの肩と背中をしっかりと抱いていたからだ。

「うえええ!?な、なにごとですか!??」
「怪我ないか?どこか痛いところは!?」
「だだっ、だいじょぶです!!」

「そうか… 悪い、恭弥の攻撃避けるのに夢中で、お前に気付かなかった」
「え、あ、そうだったんですか… っうわ、わあっ!?」
「な、おい、こら恭弥…」

いつの間にかみちるの背後に回っていた雲雀は、みちるの制服の後ろ襟を掴むと、そのまま猫の首根っこを持ち上げる要領で、みちるを引っ張り立たせた。

「いつまでこの男に乗ってるんだい」
「の…乗って…って!事故ですから!」
「どこに行っていたのか知らないけど、屋上に出る前に外を確認するとか…」

「ディ、ディーノさんっ、あの、ごめんなさい!助けてくれてありがとうございました!」

今、話しているのは僕なのに。
今、きみのいちばん近いところにいるのは自分なのに。

場所も、後先も考えず攻撃をしたのは、雲雀のほうだ。
それがわかっているからこそ、身勝手で理不尽な言い訳を、それ以上言葉に載せて声にすることができなかった。
自分らしくもない。
くだらない。
気に入らない。

抱きしめられるくらいの距離に立つ、いつも通りの千崎みちるは、今、雲雀に背を向けている。
この瞬間、世界でいちばん雲雀の傍にいながら、彼女の気遣いはディーノに向いている。

雲雀は、掴んだままだったみちるの後ろ襟から手を放すと、それを整えることもせず、屋上を出て行った。

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