いつもひとり、教室の隅っこに居た。
外を眺めたり、本を読んだり。
たまに視界の端に入って、…それだけ。ちゃんと気にしたことなんてなかった。
そんな彼女は、いじめられているわけではなかったけど。
誰もあいつを、気にかけなかったんだ。そう、オレも。

それでも、たまに何かあって話すことがあると、

千崎は、いつも笑ってた。





だから、平気だなって思ったんだ。
千崎は“ひとりで居たいからひとり”であって、何もオレが心配することはないって。
楽しいから、笑ってるんだよなって。



それだけなら、それ以上近づこうなんて思わなかった。
でも違った。

千崎が事故に遭う少し前の冬の日、あいつはなかなか学校から帰らなかった。
後で知ったことだけど、あの日千崎は掃除当番と日直が被っていた。
ついでに、同じ日直の奴が用事があるとかでさっさと帰ってしまったらしい。

帰り際に、窓際で黒板消しを叩いてた千崎に、オレは何の気なしに声をかけた。
「手伝おうか?」って。
千崎は笑って「ううん、いいよ。ありがとう」と言った。

その後オレは、グラウンドで友達と野球をした。
冬だから日が落ちるのは早い。五時にもなると、あたりはすっかり真っ暗だった。
校舎の明かりもほとんど消えて、明るいのは職員室くらいだった。
その中で目立っていた。オレの教室の明かりだけが点いていたから。

「山本ー、帰ろうぜー」
「…わりっ、オレ、教室に忘れ物してた!」

ただの、電気の消し忘れかもしれない。
でも今日、最後にあいつに声をかけたのはオレだから。
もしかしたら、千崎がまだいるのかもしれない。
すっかり真っ暗になってしまった空を見たら、“女の子がひとりで居るかもしれない”という少しの可能性に、オレは罪悪感を感じていた。

始まりは罪悪感でもいい。
あのとき、力になってやれたらよかったのに。


教室の扉を開けると、ちょうど反対側から千崎が扉を開けていた。

「え、山本くん…?」
「あっ…千崎…」

暗い廊下で見た千崎は、おどろいた表情だった。
けど、見えてしまった。少しだけ赤い目に、潤んだ大きな瞳。
千崎は自然な動作でごしごしと目を拭った。次に見たのは千崎の笑顔。

「忘れ物?…わたし、帰るね」
「あ…あぁ…」

スッとオレの隣を通り抜けて、千崎はまっすぐ昇降口に向かっていった。
オレは反射的に、その背中に「千崎!」と声をかけていた。

「…?」
「あ…、暗いから、気をつけてな」
「…ありがとう」
「あ、あの、さ」

いちばんの疑問。

「どうして、こんな時間まで…」

千崎は少し離れたところから言った。

「もう、誰も…居なくなったと思った」
「…?」
「山本くん、校庭で野球やってたでしょ?」
「あ、ぁ」
「ごめんね、ちょっと見てた」

千崎は、寂しそうに笑った後、またオレに背を向けて歩き出した。
正直、何が言いたいのかわからなかった。
千崎はオレが友達と野球をしていたのを見ていた。
「誰も居なくなったと思った」ということは、終わるまで見ていたのだろう。オレの友達が帰るところも。
どうして、そんなことをしたんだ?

…どうして、泣いていた?

オレが野球をやっていることが悲しいのか?そんなわけない。
けど、どうしてなのかなんて聞けない。
ただただ、オレの中でシコリみたいになって残ってた。
あのときの千崎の泣き顔と、腫れた目で無理して笑った、あのときの表情が。



今、オレの目の前にいる千崎は、あのときの千崎じゃない。
見た目は一緒でも、中に居るのは違う世界の“千崎みちる”だ。
でも、さっき見せた寂しそうな表情が、あまりに一年前のあの日の千崎と被った。
心がモヤモヤしてきた。
どうしてあのとき泣いてたのか、教えてくれよ。

「…っても、知ってるわけ、ねーよな」
「え?」
「わり、なんでもねぇよ」

きょとんとした表情を浮かべる千崎は、素直に可愛いと思った。
今隣に居る千崎は、すごく人間らしくて、安心する。
やっぱり、接してみると違うもんだ。
あのときの千崎は、やっぱり遠い人だったから。
笑っていれば楽しそうにしてるのがわかるし、泣いていればその理由がわかる。

前にツナの家で千崎が泣いたとき、なんだか安心した。
一年前の千崎が泣いてた理由をオレは知らないから。はっきりした感情を吐露する彼女を見て、少し近づけたような気がした。
あのときの千崎とは違う人間だなんて言われても、目の前に居るのが“千崎みちる”って言われたら、どうしてもシンクロしてしまう。
笑顔だって、昔から知ってるのと同じだから。

でも、さっき、はじめて千崎が違う人間に見えた。

ヒバリのために、泣いていたから。

人のために優しくなれる子なんだって、思った。
ここにいる、千崎は。


「…なぁ、千崎」
「なに?山本くん」

オレを見上げる千崎の笑顔に、ドキッとした。
小学校のときに同じクラスだった千崎。当たり前だけど、彼女と外見は同じだ。
違う、こいつはあのときの千崎じゃない。そう思いたくても…思えない。
あまりに全てが同じだから。惑わされてるってわかってる、それでも…
一年前の千崎の思い出が、オレの中にはあるから。

「…お前の笑顔っていいよな」
「へっ!?そんなっ、や、山本くんの笑顔のほうがずっといいよ…」
「そんなことねーよ。なんか安心するんだ」

…そう、なんだか安心させられる笑顔なんだ。
千崎はまた顔を赤くした後、ふんわりと笑って、言った。


「ありがとう。…すごく嬉しい」


可愛い。でも、それだけじゃない。どこか陰のある笑い方。
…もしかしたら彼女は、安心させたくて笑っているのかもしれない。
彼女の笑顔は、「大丈夫だよ」って言っているような気がした。

本当に大丈夫か?
あんなに泣いていたのに。
一年前だって、誰も居ない教室で泣いて… そんなのが“大丈夫”なのかよ?
ヒバリのために泣くのはすごくわかりやすい。この子は優しいから。
でも千崎だって、自分のために泣くこともある。泣きたいときだってあるよな。当たり前だよな。
ツナの家で泣いたときも、きっとあのとき教室で泣いていたのも。

…大丈夫かって聞きたかった。
でも、本当のところはわからないから聞けなかった。
今目の前にいる千崎も、同じように寂しそうな感情を笑顔で隠しているのに。


ちゃんと、聞いてやればよかった。
一年前の後悔を繰り返すなんて… 嫌だったのに。

あのときの千崎と、今ここに居る千崎は、別人だから。
そんなの、言い訳なんじゃないか。
優しくないのは、オレだって同じだよ。…なぁ、千崎。

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