なぁ、泣かないでくれよ。
オレが、乗り越えられないだけなんだ。
あの日見た千崎の涙を。
オレが、弱いだけなんだ…
みちるは、山本の腕の中で、しばらく泣いていた。
やっと嗚咽が落ち着いてきた頃、山本はみちるを開放した。
少し腫れた目が、あの日のみちるに似ている。山本は思わず、その顔に見入ってしまった。
だが同時に、雲雀のために泣いた、数日前のみちるを髣髴とさせた。
オレのために、そして“こっちの世界の千崎”のために、泣く姿。
どうしても、それだけは、オレの一年前までの記憶の中にはない。
…そう、この子は違う。
「ごめん…ね…」
「…だから、違うんだよ。悪いのはオレだけだ」
「山本く…」
「聞いてくれ、千崎」
すとん、と植え込みの前に座り込んだ山本が、みちるを手招きした。
みちるはおずおずと、山本の隣に腰掛けた。
「オレ、千崎に確かめたいことがあるんだ」
「…え?」
「ん、一年前にさ…」
山本は、みちるに一年前の出来事を話した。
校庭で友達と野球をしていた自分。
それを見ていたと言った、一年前のみちる。
その泣き顔を、どうしても忘れられないこと…
「他の誰に確かめてもわかんねぇだろ?だから、お前に聞いてみようかな…ってさ」
「…そうだったんだ」
「あぁ。…答えがわかるなら、いちばんいいんだけどさ」
「…」
「あ、“ごめん”って言うなよ?」
山本の笑顔が、いつもの眩しいものに戻っている。みちるは小さく安堵した。
「みちるさんはきっと、優しい人だったんだよ」
「…ん。それは、なんとなくわかる」
「山本くんも言ってたじゃない、千崎は優しい奴だったって」
「友達とかに対して“いい人”って意味でな。でも、心が優しいかどうかは、あんま話したことないからわかんなかった」
それでも、この人はちゃんと見ようとしていたんだ。
事故に遭って手遅れになってからでも、知りたがっていたんだ。“千崎みちる”のことを。
みちるは、心があたたかくなるのを感じた。
「あのね。みちるさんのご両親…あ、おじさんとおばさん…今のわたしの両親ってことになるんだろうけど」
「あぁ」
「忙しい人たちでさ。最近はあんまり家に居ないの」
「へぇ…」
わたしが退院したてだから、少し前までは居てくれたんだろうとみちるは思った。
「だから多分、こっちの世界のみちるさんも、寂しい思いしてたと思う」
「そっか」
「それでも、山本くんが見てきたみちるさんは、笑えてたんでしょう?」
心に、何を抱えているかはわからなくても。
彼女は、笑っていた。
「きっとそれって、みんなに心配しないでほしくて、笑ってたんだと思う」
「……」
「夜遅くまで残ってたのも、きっと、家に行ってもひとりで寂しいからじゃないかな」
「…オレたちを見てたってのは?」
「…うーん…楽しそうにしてる人たちを見るのは、楽しいと思うよ」
すっと、胸のシコリが消えていくような感覚。
山本は、優しく笑いながらみちるを見ていた。
懸命に答えを探し出そうとするみちるを、純粋に、すごいと思った。
「そうだったら、いいな」
「…ん、どうだろう、わたしだったらこう考えるかなぁって思って…」
「…はは。やっぱり、優しいのな」
山本のやわらかい視線に気付いてみちるは視線を合わせた。
するとみちるは、恥ずかしそうに、でもふわりと笑いかけた。
「不思議。みちるさんって、本当にわたしみたいなの」
「え?」
「わたしの両親も忙しくて、そうやって遅くまで学校に居たことあったんだ…」
「…ほんと、か?」
「でもわたし、ただいつもつまんなくて、そんな風に笑顔で接する余裕なんてなくて…山本くんみたいな優しい人も、周りに居なかったから」
わからない。本当は居たのかもしれない。山本くんのような人。
でも、文字通り“余裕なんてなかった”のだ。
きっとみちるさんはわたしなんかよりずっと優しくて、両親のことも嫌わず、いつも一生懸命に生きていたのだろう。
「わたしは…事故で死んでもよかったよ。けど、みちるさんは居なくなっちゃダメだったんだよね」
「ばっ…そんなことねぇよ!」
「ありがとう、でも、…山本くんも…」
――そう、貴方が求めているのは、“わたし”じゃないでしょう?
貴方が会いたがっているのは、みちるさんでしょう…?
「…ごめん、そんなつもりじゃない、本当だ、」
「……いいよ、そんな…」
「違うよ。千崎に…一年前の千崎に会いたいのは本当だ。けど、お前とも一緒に居たいよ」
――だって、さっき泣いてくれたのは、千崎じゃないだろ?
目の前に居る、違う世界から来たお前のほう。
紛れもない、お前だって“千崎みちる”なんだろ?
「みちる」
「え?」
「オレにとって、昔の千崎は“千崎”で、お前は“みちる”だ」
「山本くん…」
「本当にごめん。フラフラして、わけわかんねーことばっか言って、グズグズして」
山本がみちるに見せた笑顔は、いつも通り、わかりやすくて眩しくて、
…みちるが見たかったそれだった。
「オレ、千崎のことばっか言ってたけどさ、“みちる”のいいところもいっぱい知ってんだぜ」
「…え?」
「っていうか、もう話した回数じゃあみちるのほうが上なんだよなぁ」
楽しそうに話す山本は、すっかりいつものペースだった。
みちるはそれに心底安心していたが、涙が出そうだった。
「千崎と…オレのために泣いてくれてありがとな、…みちる!」
糸が切れたように、涙が溢れた。
山本くんだけは、みちるさんとの思い出を持っているから。
彼が“こっちの世界のみちる”さんを求めていることが怖くて仕方がなかった。
でも、わたしはもう、“わたし”でいいんだね。
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