気付け気付くな気付け気付くな。
 保健室を訪ねれば珍しくアイツは居なかった。アイツが居ない保健室はよそよそしい。何だか空気が軽過ぎるみたいで気持ち悪い。ベッドに入る気も起きず落ち着かないまま教室に戻ろうかとふと頭に浮かんで、じゃあなんで保健室に来たんだ、とオレがオレに追い討ちを掛けた。頭ががしがし掻いて深くから溜め息を吐いて胸を安らがせようとした。
 ふといつもアイツがデスクワークをしているデスクを見れば作成途中の保健室便りと湯呑みが目に入った。湯呑みからは湯気が上がっていてアイツが出かけてからそう時間が経ってないことを告げていた。湯呑みに触れると当たり前に温かく、デスクと対になった椅子の座面はアイツの重みを受けてだろう、凹んでいた。一度部屋を見回す。確かに誰も居ない。引かれたままの椅子に手を掛け、ゆっくり腰下ろした。キャスターが鳴く。ほんのり残っていた温もりを感じた。アイツはここに座って一人で保健室便りを書いていたのか。思ってデスクに向けばデスクの位置が高く、あの長身を恨めしく思った。背凭れると気持ちばかりのクッションが鳴いた。
「あれ、藤くん。来てくれてたんだ。」
 ああ。こいつはいつもここからオレを迎えるのか。
 保健室の扉を開き戻ってきたハデスはにこにこと笑って言った。オレは椅子から立ち上がって素っ気ない返事だけを返す。
「ちょっとお手洗いに行ってたんだ。ごめんね。」
「へぇ。」
「もしかして待ってくれてたのかな。」
 給湯設備でテキパキとハデスはオレの分のお茶を用意する。いつもと変わらない。オレは欠伸をひとつ溢す。
「おう。待ってた。」
 一瞬ハデスの背中が固まって照れた声が返ってきた。
「…ありがとう。居ない間に帰られなくて良かったよ。」
 こいつは気付くだろうか、気付かないだろうか。オレは生徒でこいつは先生で、オレは子供でこいつは大人で。
「お前が帰って来ないと眠れないだろ。」
 空気はいつの間にかいつもの保健室で眠気が湧いてきた。お茶だけ飲んだら眠ろう。ハデスはオレの湯呑みに茶を汲んで持ってくる。その湯呑みをオレの前に置きながら笑った。
「僕が居なくてもベッド使ってくれて良いのに。」
 当たり前の定石の返答に苦笑して湯呑みを取った。温かい湯気を吹いて茶を啜る。
「それで眠れるなら早退する。」
 ハデスが動きを止めた。オレは子供だから自分の吐いた言葉の意味を知らないフリをして茶を啜った。
 気付け、気付くな、気付け、気付くな。






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