家に帰ったら妻が死んだふりを…


「なにをやっている」

「………」

返事がない。ただの屍……なわけない。

皇毅は臥台の横に備え付けられた碁盤がひっくり返され碁石が散乱している事にまた苛々した。
帰ってくる度に少しずつ進めてきた対局がもうすぐ皇毅の勝ちで終わろうとしているのに、碁盤ひっくり返された。

負けそうだからってそうはいかん。

鼻でせせら嗤って碁石を拾い集める。
石の位置くらい暗記しているのでしっかりと元に戻してやった。

すると床で死んだふりしていた玉蓮がムクリ、と起き上がり座りきった瞳で睨みつけてきた。しかし全然怖くない。

「皇毅様、どういうことですか」

「どういうことですかは此方の科白だろうが」

「本当は分かってらっしゃる癖に、誤魔化すおつもりですか。倒れた秀麗様の事は……お、お姫様抱っこしてくださったのに、私の事は丸無視ですか」

その地獄耳、何処からの情報網だろうか。
先ずはそんな感想が頭に浮かんだ。

李絳攸に対する御史大獄を控え弁護に回る紅秀麗は突貫工事の準備が祟り皇毅を屍人扱いした挙げ句にぶっ倒れてしまった。
そんなこの世の面倒を全て背負い込んでいる部下を運んだだけなのだが、皇毅が秀麗を抱いて運ぶ様子は周囲の注目を浴びたようだった。

そして、嫉妬した玉蓮も倒れて見せたというわけか。

(くっだらん……)

「何故黙っているのですか、皇毅様も御史ならばお口は達者でしょう。屁理屈くらいこねてください……ひたたたた!頬抓らないで!」

「無礼なお口が達者なのはお前だろうが。たまたま側に居たのが私だったまでだ。それともぶっ倒れた部下を蹴り転がしておけと言うのか」

頬を引っ張られ涙目になっている玉蓮は首を横に振るがそれでも口をヘの字にしている。
千尋の谷から蹴り落とす邪悪な上司だが、部下の命は守ってやるのが皇毅のやり方だった。

「秀麗様を助けてくださったのは嬉しいんです。でも私は、……どうして転がしておいたのですか!?」

そこまでやりとりしてようやく、夫に構って欲しい妻の嫌がらせだと分かっていても付き合ってやるべきだったと思う。
抱き起こしてやればこんなに面倒臭く絡まれなくて済んだのにと皇毅は徐に窓の外を眺めた。

こんなに頑張っているのに窓の外を眺めだす皇毅に鬱陶しい妻と思われていると感じた玉蓮は俯いた。
か細い声でようやく伝える。

「国と秀麗様の一大事の時に……暇な私の嫌がらせ、申し訳ございませんでした……秀麗様にお薬湯作りますので失礼致します」

沈没寸前で俯いたまま踵を返して室を出て行こうとすると皇毅が腕を回して抱き上げそのまま臥台の上に腰掛けた。

「心配したぞ……」

皇毅の小さな呟きが浮かんで消えた。

「え?」

「お前が本当に倒れていたら、たとえ火の中でも飛び込んでゆくだろう」

本当ですか?

顔が熱くなる。

答えに困って瞳を閉じると、唇が熱くなった。
ぱちくり、と瞳を開けて瞬きをしているともう一度口づけられた。

「これはお前にしかしてやらない特別な事だ」

臥台に凭れ掛かりながら低く甘い言葉を囁かれると、唇から広がるように身体も熱くなってゆく。

−−−−−ならいいんですけど、ならいいんですけど!

強く言い返そうとするが甘い空気を台無しになりそうで心で呟くだけになってしまった。

「そうそう、お前にしかしてやらない事がまだまだあるのだが、どんな事か知りたいか?」

「え……それは、」

皇毅の視線が寝台に向いている。
どんな事かは存分に知っているような気がするが、ようやく構ってくれた皇毅の肩に顔を埋めた。

「今度はふりでも抱き起こしてくださいね」

「さあな」

「もう!ここまで話が纏まったのに、どうしてそこで『はい』って言えないのですか」

どうしてだろう、と皇毅も考える。
もしかしたら押し引きの駆け引きで長々と構って貰いたいのは寧ろ自分の方なのかもしれないと、そんな風に思ってしまう。

(鷹文が途絶えただけで帰って来たのがいい証拠だ)

さて、また怒り出した妻をどうやって寝台へ連れ込もうかと捻くれ愛妻家の皇毅は愉しい思案をしだした。












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