妻風邪をひく


皇毅はふと、視線を目の前に迫る白塗りの壁に向けた。
此処は侍女達の住まう東の対の屋で、薄い壁隔て侍女が寝ている。

否、壁に顔をべったり貼り付け聞き耳立てている。気配がする。

拳を作って不意に壁をドン、と叩いてみると反対側から盛大に何かが倒れる音がした。

流石に「きゃあ」などと声は発しなかったが、驚きのあまりスッ転んだとみた。
しかし壁の向こうの者が全て悪い訳でもない。
侍女とてそれなりの家柄の息女の集まりであり、それを預かる凰晄は侍女達の寝起きする東の一角を火急時以外は男子禁制にしている。

それなのに家のご当主様が守らないとあっては責められるべきは寧ろ皇毅の方なのだ。

「とんだご迷惑かかっているので場所を変えるぞ」

説明をまる省きして玉蓮を捕まえようとすると、するりと逃げられる。
色々踏んだり蹴ったりだった。

「私は風邪が治るまで此処で寝起きさせて頂きますから、皇毅様はどうぞ……お室にお戻りくださいませ……ね?」

「ね、じゃない」

宥めるように小首を傾げる妻に苛々する。それで可愛いつもりなのか。男は実は拒絶に弱い生き物だという事を知っての嫌がらせにしか見えないではないか。

小栗鼠のように見上げてくる瞳を無視して布団をぐるぐると二回転させ簀巻きを作り抱え上げた。
可愛げがあれば世にいうお姫様抱っことやらで運んでやらなくもなかったが、拒絶する小栗鼠ごときにはこれで十分だ。

中の具になった玉蓮が驚いて身を捩らせると鯉の生け捕りのようになり、更に滑稽な図が出来上がったが皇毅は構わず蠢く簀巻きを片肩に乗せ無言で扉を開けた。

渡り廊下にはいつの間にやら闇夜に篝火が焚かれている。
おそらく皇毅が玉蓮を連れだす事を予想してどこぞの気が利く家令が灯りを増やしてくれたのだろう。
吊り灯籠の下を歩きながらそんな事を考える。
しかし、足許は明るくなったが逆に灯りの届かない周囲の漆黒は深くなった。

篝火も灯籠もない暗闇では目が慣れるのか月夜の僅かな光だけでも視界は開ける。
逆に皓々とした灯りに頼ると足許しか見えなくなる。

不思議なものだなと簀巻きに声をかけると、「皇毅様…」とくぐもった声が甘えるように返ってきた。


『心の底から落ち着く古寺西軒』と念仏尚書からいらない大絶賛である自室へ到着すると、対面の間、書斎を通り抜け寝室へ直行する。
ぺい、と寝台に簀巻きを放ると「きゃぁう」と変な声がした。今のは少し皇毅の心に響いた。

早速簀巻きの具が顔を出しきょろきょろと辺りを見渡して頬を膨らませる。

「寝て下さい!」

「寝るために来たんだ」

羽織を脱ぎ捨て傍にあった椅子の背もたれに乗せると簀巻きを反対側へ二回転させ脱出した玉蓮が走ってきた。
すぐに羽織を広げ衣装棚へ丁寧にしまう。そして開いた衣装棚から代わりに手巾を取り出し鼻と口許を覆った。

面白いので黙って見ていると今度は燭台の蝋燭へ走りより灯りを消しまくっている。

「そんなに急いで灯りを消さずとも、抱いてやるぞ」

「何、勘違いしているのですか!寝て下さい」


皇毅は今決めた。
絶対に抱いてやる。泣かせてやる。






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