戻れぬ日
またしても取り残された玉蓮はパチパチ瞬きをしながら静かに手にしている包帯を見つめていた。
皇毅から求婚された、ような気がしたのに応えられなかった情けない自分。
ずっと一緒にいたいのに、独り占めしたいのに、なのに何故か未だに叶わぬ恋心のような気がしてならないのだ。
否、叶わぬ恋が叶ってしまったからこんなに不安で苦しいのかもしれない。
(恋って大変なものなのね)
溜め息をついて小さな窓から外の景色を眺めてみる。
そこにはもう戻れない日常の風景があった。
騒がしい女官達と過ごす慣れ親しんだ後宮での生活は苦労も多かったが楽しかった。
行事があるたびに下級女官達に連れられて上がった王宮では決して面を上げずにいたが、もし顔を上げてみたら最上段に皇毅の姿を見ることが出来たかもしれない。
そして同じように皇毅の眸にも罪人ではない頃の自分の姿が一瞬でも映り込んでくれていたかもしれない。
そんな事を考えながら瞳を閉じて愛しい皇毅の帰りを待っていた。
そのまま暫く刻がたつと、暗い仮眠室の扉がゆっくりと開いた。
戻った皇毅は窓辺に寄り添う玉蓮を静かに呼び寄せる。
「お前を担当した監察御史を連れてきた。妓楼に手引きした者か確認をしてくれ」
「皇毅様……」
玉蓮は傍まで寄り皇毅の胸に頬を寄せた。
やはり皇毅が傍にいるとどんな時でも安心出来るような気がする。
抱き返してくれる感触も恥ずかしいが嬉しい。
心を落ち着けて玉蓮は扉の隙間からコッソリと執務室にいる御史を見てみた。
背筋を伸ばして立つその男は確かに自分を妓楼へと運んだ御史に間違いない。
「あの方です。私が直接に接したのはあの方と妓楼にいらした御史様でした」
「そうか、ご苦労だった。後は此処に隠れていろ」
皇毅は短く告げて再び執務室で待つ御史の元に戻って行った。
扉が閉まると玉蓮は其処でそのまま正座をして外の様子に耳を澄ませてみる。
流石に会話の内容は聞こえて来ないが、特に争っている様子ではなかった。
事が上手く運んでいるのかしらと少しホッした矢先、執務室にまた誰かが入ってきたような音が聞こえ玉蓮は眉を潜める。
そして明らかに外の様相も変化しているようだった。
新たな声の主にも聞き覚えがある。
−−−陸清雅様
皇毅が御史大獄に追い込まれれば引きずり降ろされると口にした御史。
(何故此処にいるの)
心の臓が嫌な音を立てだす。
玉蓮は堪らずに、執務室への扉を音が立たぬように開けて中を覗いてみる事にした。
此方は暗闇で覗く程度に扉を開けても向こうからは自分を確認する事は出来ない。
正座からほんの少し背を伸ばして取手に手を掛けた時に膝頭が裾で滑った。
バタンッ−−−
一瞬何が起こったのか分からなかった。
執務室には扉から転がり出て絶句する玉蓮と、その姿を見て固まる三人がいた。
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