再会
秀麗と玉蓮は二人並んで長官室につながる回廊を歩く。
御史台の一番奥にある長官室までの道のりは結構なものだった。
途中には夥しい数の資料庫が存在し、窓が塞がれているせいか陰気な空間だった。
明るく全てが輝く後宮とは対になるような御史台。
玉蓮はまた溜め息を吐いた。
「あの〜、玉蓮さん。もちろんウチの長官とは初対面ですよね」
「はい」
小首を傾げる玉蓮に秀麗は向き直って忠告した。
「いいですか、多分、いや絶対に、よく来た、だのお勤めご苦労!
なんて言われませんけど、そういう方ですから。それが普通ですから」
「は、はい」
秀麗は一応忠告してから長官室の扉を叩く。
「紅秀麗、入ります」
中から返事はなかったが秀麗は扉を開けズカズカと中へと進む。
入っていいと言われるまで待っていたら日が暮れるからだ。
玉蓮も身を縮めながら秀麗について行く。
葵皇毅は許可もなく入って来た秀麗を忌々しげに視線で突き刺す。
「カナブン御史が何だ」
低い声で威圧的に質問を投げかけてきた。
その歓迎しない様子に玉蓮は更に身を小さくしながらも顔をあげてみる。
表情も眼差しも、全てが硬質で冷たい。
旭日と桐花のあわせ紋は御史台長官を表していた。
「長官に報告があります。本日後宮から医女官が派遣されました。
……その、私専属らしいんですが…」
秀麗の言葉の末尾が小さくなる。
秀麗自身も結局、何故玉蓮が派遣される事になったのかよく分からなかったので説明に困っているようだった。
しかし皇毅は一言
「その報告は受けている」
そう吐き捨てて、手にしていた書翰に再び目を落とす。
もう話す事はないと言いたい様子だ。
「あ……そ、そうなんですかぁ」
拍子抜けしたように秀麗はポカンと口を開ける。
まだ肝心の玉蓮を紹介してなかったが皇毅はもう此方を見ようとすらしない。
まぁこんなもんだろう。
じゃ、とにかく戻りましょうか。そう玉蓮を促そうとしたが、玉蓮はジッと皇毅を凝視したまま動かない。
それどころか、サッサと皇毅に近付いていく。
「何だ」
皇毅は近付いて来た玉蓮に視線だけ移す。
薄い色の双眸が玉蓮を射るが、玉蓮は合わさった瞳を決して外さない。
そしてポツリと言葉を繋いだ。
「……眼震が…顔色も黒いです。腎系に異常があるかもしれません。
脈を診てもよろしいでしょうか」
「玉蓮さんっ!?」
秀麗の制止より早く玉蓮は皇毅の袖口から手首の親指側にある骨の内側に三本の指を差し入れ脈診を始める。
呆れたように皇毅は玉蓮の振る舞いを見ていた。
暫くして袖口から手を外した玉蓮は一礼をして切診を述べ始める。
「腎は精気を貯蔵する働きがあります。過度の労働によって肉体に疲れが貯まると、気血が消耗して体がだるくなるだけでなく気力まで失われます。また、性行為が過剰になると腎の機能を低下させます」
今、サラリととんでもない事を口走ってなかったか!?
秀麗の血の気はどん底まで引いた。
「腎の精気不足のせいで耳鳴りや目眩が起きるのです」
長官室の気温が氷点下まで落ちてしまったから誰も動かないのだと思う。
いや、動けないのだと思う。
蘇芳がいたら間違いなく既に窒息死していたはずだ。
三人は暫く微動だにしなかったが、皇毅が次に動いた時に玉蓮の首を物理的に飛ばすのではないかと秀麗は血相を変えたまま必死で声を絞り出した。
「しつ、、つれい、しました」
玉蓮の衣をひっ掴んで引きずるように後退り長官室から退去した。
何て事を言ってくれたのか、これからどんな仕打ちが待ち受けているか想像すらつかない。
しかし当の本人は命からがら逃げられた事を理解していない様子だった。
「玉蓮さん、長官にとんでもない先制パンチ食らわせましたね……笑って許す感じに見えましたか!?」
「冗談を申し上げた訳ではありません……長官のお顔色が心配で」
「確かに血が通ってないような顔色だけど……せ、せせせ性行為やりすぎみたいな例えはどーかと」
「でも、おそらく原因はそれだと思うんです」
心配そうにする玉蓮をよそに秀麗は知りたくもない長官の私生活を知ってしまったような気がしてゲンナリした。
「でも秀麗様、昔の事が慢性的に体を侵している可能性もございますので」
(全然弁解になってないわ……)
本当に先が思いやられると、流石の秀麗も疲れの色を隠せなかった。
玉蓮は自分の失態よりも、気にする事があった。
自分の本当の目的は、秀麗にも御史大夫皇毅にも、誰にも知られてはならない。
玉蓮は怖くなり薄い瞳を閉じて、助けてくださいと願ったが、
その願いは誰にも、どこにも届きはしなかった。
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