迷いへの入口


背筋を伸ばし凛とした姿の家令とは対照的に背中を丸め敷布で身を隠す。

昨夜の事は全て知っているという話は本当なのだろうか。
不安そうに瞳を揺らす玉蓮の横を素通りして手にしていた火桶を室に置いた。

「湯浴みの用意をしましたので身を整えていらっしゃい。話がありますが戻るまで待っています」

素っ気ない口調だったが揺れていた瞳がパッと輝きを取り戻し敷布を抱きかかえ一礼する。

「ありがとうございます!では行って参ります」

急いで室の外へ出ると侍女が二人ほど扉の前で控えており丁寧な仕草で礼を取った。
昨日などは玉蓮が室から出てきても挨拶もそこそこに当主様のお手水の桶どうぞと手渡されただけだったのに様子が違う。

まさか邸中に広まっているのか。

「姫様おはようございます。湯浴みの準備が整っておりますのでご案内致します」

ご案内などされなくとも場所は知っているし、昨日まで掃除していた場所なので一人で行ける。
返事を忘れて訝しそうに侍女の顔を眺めると侍女の口許がにんまりと上がっているのが見えた。

奥で凰晄が目を光らせていなければ根ほり葉ほりと探りを入れたいような眼差しだ。
なので嫌な予感がしつつきいてみる。

「あの……、昨日とは随分扱いが違う気がするのですがどうされました?」

わざとらしいと肩を竦めた侍女に手を引かれ、家令の耳に入らないところまで来ると漸くにんまり口が開いた。

「そりゃもう、姫様と当主様の事は邸中の注目の的ですから何かあれば、そりゃもう、もう!特に侍女一同お祝いですよ」

「見事寵姫に返り咲きましたね。姫様はやると信じておりました。おめでとうございます」

お祝いのお餅を作りましたので後で召し上がってくださいね、と侍女二人で沸き立っている。
不老不死の丸薬を探してコウガ楼で再会した皇毅に連れて帰られた時から侍女達は庇ってくれた。

彼女達の気持ちに嘘はないだろうが、偶然を装って皇毅に再会し旧情を楯に帰ってきて再び恋仲になった執念深さに感嘆しているのかもしれない。

「ふふふ、ありがとうございます。執念深くつきまとっていたら妻にしてくれると仰ってくれましたよ」

回廊には他の目がないので侍女達も声を大きくする。

「いえいえそんな、執念深いだなんて、本当にそんななら怖くてドン引きですよ。そうじゃなくて姫様の真心が当主様にも伝わった結果ですよ。私も嫁入り修練の刺繍止めてお灸習ってみようかしら」

「でも、また私いなくなるかもしれませんので」

「……」



楽しい湯浴み場まで来て沈黙が降りる。
せっかく祝っているのにどうしてまたそういう辛気くさい事を言いだすのだと胡乱の眼差しを向けられる。

「こうなったら訊いときますが、一体何があったらいなくなるのですか。またあの夜盗が来るのですか」

そう、未だ命を狙われているのかもしれない。
皇毅の進む道を邪魔する者として排除したいと、未だ見える誰かに思われているのかもしれない。

皇毅の進む道は『旺季を玉座に据える』

途方もない事だった。
それを邪魔する可能性があるならば生かしてはおけぬだろう。




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