愛の代償


ここはコウガ楼の一室で、あの下手くそな琵琶など悪夢であり、何事も起こらずそのまま妓女と同衾している最中なのではないか。

飛燕の事を思い出していたような気もする。

それでも、

下手くそな琵琶が聞こえてきた悪夢の方を、きっと今は望んでいる。

霞がかった思考を揺らしていると、横でうずくまっていた女人がむくりと起き上がり蝋燭を近づけた。

何かを手に掴んで皇毅の背に当てる。
すると背がひんやりと冷たくなった後、ほかほかと温かくなってきた。
意識を手放しそうになっていた時に感じていた心地良い感触だった。

女人は自分が当てた湿布を確認するとまたコテンと横になる。

「玉蓮」

「あ、起こしてしまいましたか?」

何をしていたと問うまでもなく、湿布を作って貼ってくれていたのだろう。かなり効いたようだ。
コウガ楼の妓女ではなく横にいたのがこの玉蓮で良かったと素直にそう思う。

「私の夜伽は寝台でなく床で寝るんじゃないのか」

礼を言おうとしたのに、ありがとうの一言が言えない。
そしてごめんの一言も言えなかった。

様子を横目で確認するとそんな嫌味は慣れっこの表情だった。

「お具合は如何ですか?背中の傷を拝見しましたが深いものですね」

「葵家がとり潰しになった時、全てを巻き込んで自刃した卑怯者に受けた傷だ」

自刃出来ず逃げ出したお前が卑怯者なのだと、背の傷は語っている。そして未だに命を絞り取るように苦しめるのだ。

暫く動かなかった手が再び動きだし湿布を変える。

「そこからすくい上げてくださったのが旺季様なのですか?」

旺季だけでなく飛燕姫の名もよぎるが、それは口に出来なかった。

「葵家の御曹司を救って何かやらかそうとしたわけではない。門下省次官や鄭尚書令同様、怪我をした動物を拾って手当してみたくらいの感じだった」

貴族派として官吏になってくれと頼まれた事など一度もなかった。
うちには金がないから国試は無理だ、官吏になりたいなら自分でなんとかしろと言われたくらいだ。

旺季の望みはそこにない、自分が旺季の傍にいきたかった。
しかしセンカ王崩御後に旺季の異変に気が付いた。

その座を狙っている。
何も言わなかったが確かだった。

御史台に入り公子達を追い落とせば旧紫門に椅子が回ってくる。
しかし官吏としての純粋な想いとは裏腹に王座への道は血みどろだった。
進むべきでないその道、旺季を止めなければならなかった皇毅は自らその後を付いてきた。
無論、御史であった自分の手も血みどろになっていた。

いつか玉蓮が言っていた事を思い出す。
その堅く握りしめた手を開いて差し上げたいと、しかし開いた手が血に染まっていても玉蓮は理解出来るだろうか。

この手を取るだろうか。

飛燕は取らなかった。

若かった皇毅はその事で夜な夜な一人酒を呑みながら涙を流したがどこかで安堵もした。
これで狂った掛けに飛燕を巻き込まずに済む。

旺季や自分は最早後戻りなどしない。
センカ王にとり憑かれた旺季が王座を狙うならばそれは謀反だ。

そんな運命から飛燕だけは護ってやらねば、そんな風に思った。

最愛をこの地から逃がした。
それが皇毅の最後の、そして永年の愛情だった。

同じ事がまた目の前で繰り返されている。


「私は旺季様を王座につけるつもりだ」

「え、えぇ!?」

暗闇で玉蓮が跳ねた。

「薄々感じておりましたが、拷問されても絶対言わなそうなのに、どうして私にそれを…」

「お前がそれだけの存在だからだ。私は今でもお前を愛している。しかし傍にいるならば紅秀麗や紫劉輝でなく旺季様に付くと誓ってもらう。ハッキリ言っておくが譲位が出来なければ謀反を起こすからそのつもりでいろ。誓えるか」

突き放した言い方の割に皇毅は玉蓮の手をしっかりと握りしめていた。

どう答えるか見当も付かなかったが、断れば飛燕のようにはいかない。

玉蓮の後ろに御史の顔をした紅秀麗と傀儡の王の姿が見える。
誓えないならば今の話が漏れるということだ。

逃がしてやるのはたった一回。
そしてその機会は最早終わった。





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