愛の代償
底冷えする石畳にちょこんと正座していた玉蓮だが、皇毅が木札を受け取ろうとするといきなり立ち上がった。
「やはり皇毅様の腎経を害する札をお返しするのは医女として致しかねます」
その言葉の意味が理解出来ない凰晄と、何を言われているのか理解した皇毅に背を向け庭院へと駆け出す。
そのまま握っていた木札を真っ黒に染まった池へめがけ、えいっと小さな掛け声をかけながら投げ入れた。
飾りもない簡素な木の札は頼り無く宙を舞い、暫くして水面に小さな輪を描くと共に呆気なく暗闇へ消えてしまった。
どうせもう使い物にならない札だったが、それを知らない玉蓮は今回もまたとんでも無いことをしてしまったと暫く水面を眺める。
しかし急展開とは裏腹に沈黙が降りていた。
あの二人は自分が仕事に使う木札を池に投げてしまった行動をちゃんと見ていたのだろうか。
仕えるご当主様の私物を池に投げ入れてしまったのだから、普通ならば自分の池に飛び込むくらいの覚悟が必要なのだろうが、ご当主様の行動はしばしば先が読めない上に、妙な沈黙が降りている為とりえあえず回廊へ戻る事にした。
そこには顔面蒼白な凰晄と同じように蒼白な皇毅が未だ沈黙している。
沈黙に堪えかね玉蓮が続けた。
「もうコウガ楼へ頻繁に行ってはなりません。どうかお身体を大切になさって…」
言い掛けで皇毅が踵を返す。
ポカン、とする玉蓮と無言の凰晄を残して去ってしまった。
進む回廊から西偏殿へと向かっていると分かる。
去ってしまってから今度は凰晄が我に返ったように口火を切った。
「札を池に投げたが、貴女はまだ嫉妬するような立場ではないのだぞ!これから旺季様に当主の仕打ちに対する慈悲を懇願しようとしているのに、それすら台無しになっても宜しいのか」
慈悲
懇願
親の仇かもしれないのに、
「私はどの道、貴族の良き妻にはなれそうにもありません。ですからせめて医女として進言致しました。凰晄様、先ほどの皇毅様の顔色を拝見しましたか?真っ青でした」
「それは貴女が真っ青にさせたのでしょう」
それはきっと違う。
不自然だった。
そう思った途端再び走り出していた。背後で何か叫んでいる声を聞かずに西偏殿へ皇毅を追う。
自分の無礼を咎められる怖さよりも具合が急変したような顔色が気になって仕方がなくなっていた。
全くの勘違いでいつも通り一人淡々と書物でも広げいて欲しいと、そう願いながら自室の扉を開ける。
西偏殿は古い造りの為、戸を開けると木が擦れる音がした。誰か勝手に入ってきたと気づかれただろう。
それでも構わず重い帆を上げて中に入ると寝殿の方角で誰かが仰向けに倒れているが目に飛び込んできた。
「皇毅様!?」
駆け寄る姿を一瞥したが皇毅はまた目を閉じてしまった。
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