去る者追わず


全ての様子を窓の縁に腰掛けじっくりと観察していた胡蝶は優雅にもう一度だけ溜息を漏らした。
外に漏れる息は白い煙になって昊に消えてゆく。

途端にその姿を下層の回廊から見た客がコウガ楼の天女を拝めたと沸き立ちだす。
ほんの一瞬その男達に目配せをすると胡蝶はゆっくりと窓を閉めた。

椅子に座り直し自分にこんなご苦労をさせた主を待つことにする。

(葵長官様はもう来ないだろうねぇ……あんなに変わってしまったから)

胡蝶にはたまに訪れる凌晏樹の幼馴染みの客がすっかり変わったように見えた。
妓女にもご機嫌を取るでもなく上から物を言う気性は同じだが、賢く妓楼遊びが出来る客だった。
しかし妓女に恥をかかせながら逃げるように帰ってしまった。

医女玉蓮をとるか、それともこの先もコウガ楼へ逗留するために贔屓にしていた妓女を立てるか。
協力したのはそれを見極めたかったからでもあった。

答えを見られて安心したような、妓楼の者として悔しいような。
去ってしまった者の事などもう忘れてしまった。

しかし胡蝶の待ち人は未だ現れない。
もしかしたら来ないんじゃなかろうかと高を括ったその時、ようやく現れた。

「皇毅を追い払ってくれたみたいだね。一体どうやったの?」

扉を開けた晏樹は猫のように目を細め微笑んだ。

「此処に奥様を呼んで琵琶を弾いて貰っただけですよ。血相変えて飛んできて、大切そうに隠して逃げてしまいましたわ。晏樹様はどうして葵長官様から逃げておいでなのかしら?幼なじみらしく喧嘩ですか」

晏樹は意外そうな顔をしたがゆっくりと目を閉じた。
意外そうで予想通りだったのだろうか。
胡蝶も同じ気持ちだった。

「私も一応官吏だし御史台に会いたくない時ってあるだろう。皇毅とは貴族派の仲良しみたいに言われてるけど全然仲良くなんかないからね」

御史台を避けている。
本音か嘘か、晏樹の言葉は本当に真意が分からない。

午に晏樹から室を用意して欲しいと文が届いた際、もう一通胡蝶だけが見るようにと約束された印が捺してある文が添えられていた。

そこには自分が到着する前に葵皇毅を追い払って欲しいと書いてあり、胡蝶は玉蓮を琵琶の指南をするとして呼び寄せたのだった。

胡蝶の勘が正しければ皇毅は彼女を連れて出て行ってしまう。つまり体よく追い出す事になる。

「奥様が妓楼に来ていたら男は普通隠れるでしょうに、葵長官は愛妻家か嫉妬魔でしょうか?すっとんで参りましたよ」

よく喋る胡蝶の様子を対面から見つめる。
晏樹も贔屓は変えなかった。
この貴陽一の妓楼に入れるように計らい、その後も陰ながら支え続けてくれる晏樹はこの先も通ってくれそうだった。

「ふふふ、胡蝶、怒っているんだよね。変な事頼んで悪かったね。でも皇毅はあんまりいい客じゃいからそろそろ出禁にして欲しいな。ここは私の隠れ家にしたいんだ」

平気で惨い事をいうが、それでも良かった。
御史台と折り合いが悪くなっているのならば心配なくらいだった。

「仕方ありませんね。貴族派は貧乏でもケチではございませんからいいお客様でしたのに」

「貧乏とは心外だね。その通りだけど」

「私は晏樹様から今日のお代を二人分頂戴出来れば一向に構いませんが、逃げ出した葵長官様が気掛かりですわ。そろそろ奥様の女の勘が働いてくるころですよ?」

不思議そうにする晏樹にそっと耳打ちする。


−−−−−もしかしたら今頃、修羅場かもしれませんわね


晏樹はいよいよ面白そうに目を細めた。





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