浮ついた世界


暗闇に紛れ軒を妓楼の門へつけると中から出迎えの者が現れた。
従者と短い会話をした後皇毅を中へと引き入れる。

コウガ楼の庭院には大きな鉢が並べられ温室で育てられた花々が浮かべられていた。
大きな宴席がある際は温室で飼われた蝶が冬の昊に舞う。
寒風に晒される中庭とは思えぬ光景。

皇毅が望む極彩色の世界が季節を問わずそこには存在していた。

案内役が興をそがぬ程度の世間話をしながら皇毅の内情を窺っている。
先だって『不老不死の丸薬』を巡る官吏達の賭博を一斉検挙した際も訪れたが、仕事でなくとも御史達は内偵ではないかと常に疑われている。

しかし皇毅にとっては疑われているくらいの距離感が丁度良かった。
部下達が情報をとる為に贔屓にしている間諜の妓女なども持っておらず、報告を待つだけの立場にのぼりつめた皇毅は妓楼の間諜とも一線を画していた。

「凌晏樹は到着しているか」

訪ねると首を横に振られた。

「まだお見えではございませんので、先に室へご案内致します」

特別な客のようにかしずかれ奥へと通されると、離れの室からは美しい夜の水面が一望できた。

葵邸の見飽きた池とは異なり対岸には美しい色の灯りが闇夜に浮かび微かな管弦の音が風にのって聞こえてくる。
その微かな音が耳障りにならず心地好い。

「お久しぶりでございます」

椅子に座ると控えていた妓女が優雅に微笑んだ。
皇毅好みの派手すぎない装飾品を身につける妓女を一瞥し再び庭院に目を向ける。
静かに控える妓女は皇毅が傍に寄るように合図するまでは決して動きはしないと知っていた。

なのでゆったりと座し色のついた池を眺めることにする。

結局、晏樹と密談する事をダシに妓楼へ足を運んでしまった。
冷徹な御史大夫にも人間らしい感情があるなどと思われるのは癪であったが仕方ない。
此処は全てが紛い物の夢の世界であり、妓女達は易々とは外の世界には出られぬ駕籠の中の蝶。

全てがかけ離れた世界だからこそ、ほんの一息ため息を洩らせる。

好みである酒を口へ運ぶ。

「長官様…?」

いつもはそろそろ寄って来いと合図があるはずなのに全く上の空で池を眺める皇毅に、妓女が至極遠慮がちに声をかけてきた。

億劫そうに視線を妓女へ向ける。

「なんだ」

「池ばかりではなく月もご覧ください。今夜は殊更美しいですよ」

そして月の次は私も見てくださいと含ませる。
琴を取り出し微かな管弦の音色に併せて奏でると月が雲の合間から顔を覗かせた。
まるで妓女がそうしたように思わせる。

ようやく妓女に意識が向いた皇毅は暫く琴の音色に耳を傾けた。
晏樹が向かって来る気配は未だ無かった。あの男は気まぐれなので来ないかもしれない。

ならばこのまま朝まで逗留してもいい。そんな気分になるり妓女に手を伸ばそうとしたその時、無機質な思考の中に突然雑音が混じる。

心地好い管弦の音に混じる奇っ怪な音だった。


−−−−−ベヨン、……ベヨン、


池の対岸から…。
琵琶の音色がする。コウガ楼の楽士が奏でているとは到底考えられない。

このドヘタクソな琵琶の音。

まさか

皇毅の杯はとっくに床に転がっていた。






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