医女妻と高官
葵邸では予定時刻に二人が戻らないと家人達が陰ながら噂話を始めていた。
憶測で尾鰭背鰭がつき最早収拾不能になっている。
『当主様がコウガ楼へ出向いたところ医女玉蓮が追いかけて来たそうだ』
『そして妓女とよろしくしている室に乗り込み耳を引っ張って引きずり出して……』
『家の門前で遂に堪忍袋の緒がキレた当主と喧嘩になると軒から飛び降り暴漢呼ばわりしたようだ』
『しまいにコウガ楼の入店札を池に投げ捨てたとか』
−−−−−恐ろしい、
−−−−−どっちがだ、
−−−−−どっちもだろう
−−−−−口外したら自分も巻き沿いだ
家人達は色々な思いで震えた。
そしてここまで無礼の限りを尽くしてしまった医女は生きているのだろうか。
冷たい川に沈んでしまっているのではなかろうか。
家令の凰晄も「当主が一人で戻ったら捜索願を出す」と宣言していたが未だ動かない。
家人達の無駄話は尽きず、厩で馬の毛並みを整えながら二人が戻ってくるか小窓から通りを眺めていた。
「しかし捜索願を出すとして、どうせ調べるのは役人だろう。絶対当主様の息が掛かっているぞ」
「意味がないな……」
押し掛け女房として突入した家が間違っていたと川の中で気づいてしまったかもしれない。
相手は黒い牙城の主だ。
合掌するしかないと二人で手を合わせた所で馬がいきなり嘶き、門前に人の気配がした。
馬に続いて当主の帰邸に気が付いた家人は背を伸ばし小窓に顔を挟み込む。
「か、帰ってらしたぞ。お嬢様もご一緒だ、生きてる!」
「それは良かった!」
とんだ言われようになっているとはまるで知らない二人が家の門を潜ると待ちかまえていた家令が一礼する。
次いで皇毅が抱えているものを一瞥した。
「ソレ、仏像でも買ってきたのですか」
答えず降ろすと今度は玉蓮が大事そうに抱え直した。
「ただいま戻りました!こちら『鍼灸銅人』と言いまして、経絡のツボが全て書いてある練習台なのです。高価なものを買っていただきました」
泣いている。
怖いから返してきなさいと言おうとした凰晄も言葉を飲み込むしかなかった。
代わりに皇毅に事情を聞こうとしたが此方は既に軒に乗っていた。
これから皇城へ向かうのだろう。
家人と共に一礼し、仕方なく二尺ほどはあるツボ人形を拭いている玉蓮の方へ向き直った。
「予定より遅かったが…」
「お世話になった薬材店の店主へご挨拶して、一緒におしるこを頂いて……これも買っていただきました!私もっと修練して皇毅様に尽くします!」
軒が動くと急いで門の前で一礼し健気に手まで振っている。
よっぽど嬉しかったのだろう。
雨降って地固まる。
皇毅は玉蓮を棄てる気がないと分かった。
凰晄は思う
−−−−これで旺季様の後ろ楯を得られれば、この子は飛燕姫を越えられるかもしれない
『飛燕姫を凌駕すれば、旺季に気に入られれば、』
この考えがそもそも間違いだと、凰晄は未だ気づけないでいた。
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