無地の夜着
「お気遣いありがとうございます……ところで、私が負けたら何をして差し上げるのでしたっけ?皇毅様のご希望がぼんやりとしていて、よく分からなかったのですが」
ぼんやり。
皇毅は聞き慣れない言葉に溜息を吐いた。
「夫唱婦随」
「え、?」
玉蓮は眉を下げて小首を傾げて見せる。
名門貴族で国の大官である皇毅は矜恃が高くこんな阿呆な女な子など大嫌いなはず。
小馬鹿にされて室から追い出されるに違いない。
すると今度は皇毅の長い指が鼻先に突きつけられた。
「伽だ」
「………」
皇毅が最初に自分に対して抱いていただろう従順な医女の虚像などとうに崩れ去っているだろうが、玉蓮が皇毅に抱いていた品行方正な厳しい御史台長官の虚像もとうに崩れ去っていた。
そして、今、さらに崩れていった。
「そうですか、承知致しました。今夜は夜通し皇毅様にお仕え致しますね」
やけっぱちのように勢いよく一礼して、室内の蝋燭を消しまくり、寝台に近い蝋燭は灯りを落とす為に鋏でぱちん、と切った。
室内は暗がりになり寝台が浮かび上がっているようだった。
「風情も色気のないことだ…」
嫌味を言いつつ寝台に上がった皇毅が指を倒して呼んでいる。
その姿に懐かしさを感じてしまい流石に目を伏せた。
「また昔に戻れるとでも思っていましたか?」
暗い声は小さすぎて、寝台までは届かなかった。
顔をあげた玉蓮は優しく微笑んでおり、寝台に近づいて紗に手をかける。
「私は家僕として夜伽させて頂きます。寝台の下に座って番をしておりますので何かご用があればお声を掛けてくださいませ」
にっこりと笑って一方的に言い切ると、紗を閉めて床にうずくまった。
暗がりの紗の中から低い声がする。
「女というものは、……」
「女だったらなんですか」
「涙や笑顔で取り繕いながら裏側で牙を剥いているもの。お前にはそれが出来ないのだな」
その言葉が胸に突き刺さり、うずくまりながら涙を堪えた。
皇毅を油断させる為に心を殺して夜伽することが出来ない。そんなこと承知の上だと暗に告げられた。
そう思うと力が抜ける。
(こんな時すら優しいお声を掛けては下さらない方……)
冷たい床の上にうずくまりながら、疲れていたのかやがて意識が途切れてゆく。
身体を丸めて小さくなっている様子を寝台の上で寝そべりながら眺めていた皇毅はゆっくりと起きあがり、眠ってしまった玉蓮の前に立つ。
完全に意識を手放しているのを確認すると壊れ物でも運ぶかのように抱えて再び寝台の中へと戻った。
熟睡している様子を静かに眺めながら、濡れている頬をそっと拭ってやる。
「憎しみでしか繋ぎとめられないならば、それもいいだろう」
結いを解き冬の厚い布団にくるまると身じろぎされたが、これくらいでは起きない事は知っている。
抱きしめる身体からは高雅な香ではなく、おやつに食べたらしき蜜柑の香りしかして来なかったが、それすら皇毅には溜まらなく良い香りに思えた。
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