鄭尚書令


皇毅は自分が立っている辺りを見渡す。

残っていた光が釣瓶落としのよう沈み、代わって規則正しく列をなす灯籠が回廊に浮かびあがっていた。
内廷の裏に設けられた御花園と大きな池。

池の中心部へ回廊が一本延びており、その先端にて釣り糸を垂らす人影があった。
皇毅は双眸をきつく眇め、回廊に捨て置かれている古びた椅子を片側に抱えると、人影の方へと足を進め声を掛ける。

「こんな時間にこんな所で釣りするやつがあるか」

「こんな時間にこんな所で立っているだけとか、自暴自棄おこして池に入水するつもりだと間違われます。釣り糸でも垂らしていれば『ああ、釣りの最中か』とそっとしておいてくれますよ」

なのに全然釣れません、悠舜は釣り糸を引き上げた。

その蒼白い顔色に皇毅は無言で抱えていた椅子をおいて悠舜の肩を掴み無理矢理座らせる。
ありがとうございますと悠舜は頭を下げた。本気で拒まない所をみるとやはり体調が思わしくないのかもしれない。

昨日中に会う予定だったのだが、皇毅が出仕をすっぽかしたせいでこんな時間に隠れるような逢い引き状態になってしまった。それも申し訳なく思う。

「二人で話すのは久し振りな気がします。この池の良いところは内緒話が何処にも漏れない事ですので晏樹の愚痴以外なら何でもどうぞ」

皇毅が切り出す前から何かを悟っているような穏やかな口振りだった。
寒風が官服の裾を揺らす。冬場に長居する場所ではない。

「お互い暇ではないので用件だけ伝える。疫病の救済を求める上奏が届いているだろう。その案件を御史台に回して欲しい」

「構いませんよ。工部が何か言ってきたら適当にかわしておきます。どうせ誰もやりたくないでしょうから追求はないと思います」

皇毅は一つ頷いて、深く息を吸い込んだ。
この後が本題だった。

「……万が一、疫病の地で私に何かあった際には、私の指定する侍御史を送って欲しい。間違っても王使など送ってくれるな。王都へ戻ってくるものは偽りの報告書だ。真実が還ってきては困る」

「…………」

悠舜は昊を見上げた。

茶州で見た満天の星昊はここにはなかった。
王都の灯りでせいぜい見えて二等星までだったが、不吉な赤い星は輝きを増している。

やはり誰にも任せず、自らゆくつもりか。

「それが出来るのは私の上から御史台を動かせるお前だけだ。因みにその頃晏樹は『家出中』だから旺季様の事もよろしく頼む」

「さっきからスゴい事をズケズケと眉毛も動かさずに頼んでくれますね。宰相を便利屋さんと勘違いしてませんか。旺季様は知りません」

そうか、と少し俯く皇毅の姿に本気で旺季の事を心配しているのだなと感じる。
昔から皇毅が一番派手に旺季の事を心配していたもので今でも変わらなそうだ。

それにしても、と悠舜は愛妻から送られた杖を眺めた。

真実が還ってきては困る

自らの最愛の人を棄て、命まで縮めるような事までして、皇毅がそこまでする所以。
葵家誅滅の恨みがそうさせているのならば、今回は見逃したとしても皇毅はいつか追い落とされる。

悠舜は杖の取っ手についた掌に合う飾りを握り見つめた。

「答えて頂きたい事があります。答えてくださったら、疫病の件は引き受けます」

「なんだそんな怖い顔をして、主上の愚痴以外ならなんでも言え」

皇毅に怖い顔だと言われた悠舜はどの口から言われたのだと愕然としながらもゆっくりと瞳を閉じた。

「もう過ぎた昔話なのですけれど……」

もし皇毅から偽りの答えが還ってきたなら、悠舜の向かう先と皇毅の向かう先とはまるで行き先が違うのだろう。





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