鄭尚書令
皇宮の煉瓦に夕陽があたると吊り灯籠に火か灯る。
官吏達を乗せた軒が次々と門を出て行く様子を外朝の高台から眺める皇毅は最後の軒が見えなくなると踵を返した。
帰路につく軒の中には鄭尚書令のものは確認出来なかった。
まだ皇宮の何処かにいるのだろうが、席を外されれば何処にいるのか分からなかった。
御史台長官と尚書令の親交が深いなどと噂になってもお互い迷惑でしかない。
実は幼馴染みでしたなど、いざというときに悠舜が皇毅を庇えば私情が入っていると斥けられる。
なのでその事実を知るものは殆どいない。
正殿の広場を歩いていると皇毅を探していたような素振りの官吏が書状を持ってやってきた。
書状を受け取った皇毅は封蝋を確認するとその場で開く。
「ご苦労」
皇毅は一言だけ発して手首を跳ね上げ官吏を遠ざけた。
−−−−−鄭悠舜
書状の主の名が浮かび上がった。
一緒に育った三人の中で一番頭がいいくせに、ボロボロの身体で王都へ帰還してきた時は狼狽した。
時が来るまで茶州で温和しくしていればよいものを、何しに帰ってきたかと思えば紫劉輝の宰相になるときた。
『お前馬鹿だろう』
幼馴染みに本音を突きつけた事があった。
何でも腹を割って話すような間柄ではなかったが本気で心配してやったのだ。
茶州で頭がおかしくなってしまったのではないか。
そんなお節介な皇毅に対し悠舜は困ったように肩を竦めるだけだった。
『紅秀麗殿の茶州州牧に引き続き、トンデモ人事でしたが王に私で良いのですかとお訊きしたところ、私でいいと言われましたので……断るのも怖いですし』
怖いなんてひとつも思ってないくせに。
晏樹の気持ち悪い笑顔と違い本気で微笑んでいるから此方も重病だった。
『裏切るのか』
『裏切るとは?』
『旺季様だ』
あの時、悠舜は最後に漏らした。
−−−−旺季様の宰相には、貴方がなればいいですよ
あの言葉が忘れられない。
悠舜が神算鬼謀の天才軍師『鳳麟』を忘れていないなら平気で嘘をつく。
紅黎深を奈落の底へ突き落としそうでしない。
紫劉輝を即座に玉座から蹴り落としそうでしない。
悠舜が最後に誰を裏切るのか分からなかった。
しかし、御史台の総司令官は他でもない尚書令なのだ。
皇毅と晏樹の狂乱を見て見ぬ振りをして、なおかつ王と御史達の目を他に逸らす事が出来るのは彼しかいなかった。
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