旧情にすがる


急いで四階から駆け下り中庭まで逃げてきた玉蓮の目に異様な光景が飛び込んできた。

広い中庭の中心に官吏達が十把一絡げに縄を打たれている。
広大なコウガ楼の敷地の中あんなに方々へ散っていったはずなのに、既に中庭の寒空の下で並ばされ、一様にうなだれていた。先回りされていたのだ。
見れば賭博の相手をした官吏もそこに座らされていた。

最後に残されたのは玉蓮のみ、万事休すの状況に思わず後ずさるが逃げてきた方向には先ほどの武官がいることを思い出す。

見渡す中庭には清雅の姿もなく無論皇毅の姿もない。
覆面である御史達は御史台が主導していると表沙汰になってからは、捕縛を武官に任せ皇城へと帰還することが多いのだと聞いたことがある。

清雅は既にこの場にはいないのかもしれない。
早く探さねば皇毅も帰還してしまうかもしれない。
そう、玉蓮には皇毅が此処に来ていると分かっていた。

縹家の紋を確認する為……それと、

(私が此処にいるから……)

純粋なその気持ちが湧きあがると、また一つ何かがこぼれ落ちた。でも気がつけない。


「玉蓮さん、こっちよ!」


混沌の中、少女の声が闇夜を切り裂き響いた。
その声が秀麗のものだと玉蓮にはすぐにわかり、声の方向へと視線を仰ぐとコウガ楼の二階から一筋の白い筋が中庭へと垂らされ窓から秀麗が手を振っていた。

「それを使って上がってきて!」

秀麗が何故ここにいるのか、こんな事に巻き込みたくなくて何も言わなかったのに、しかしそんなこと今更で何一つ躊躇する事なく玉蓮は垂らされた綱に向かって走り出した。

「そこの女!止まれ」

後ろからは武官達が人数を組んで玉蓮を追ってくる。
しかし、その武官達の前には同じく鋭い剣を携えた静蘭が立ちはだかった。
若いのにただならぬ貫禄で道を塞ぐ静蘭に武官達は怯んだ。

「ここの客か!?中庭は封鎖されている。罪人と間違われたくなくばもといた場所へ戻れ!」

コウガ楼の客と言われた静蘭は薄い瞳を少しだけ眇めて武官達の前へと踏み出す。

「コウガ楼の客とは随分な眼鏡違いですね。善良な民草にそんな金あるわけないじゃないですか。こんな残念なお役目はコメツキバッタにうってつけだが……今いない奴の愚痴を言っても仕方がない。私がお相手します」

何かに苛ついているようだが、誰一人として意味が分からなかった。特にコメツキバッタ辺りが全然分からなかった。

しかし一般人を主張するやたら美形な男の顔、どこかで見たことある。
皇城の米倉で見たことあったか。否、米倉などではなくもっと遙か高位の、どこかで見たような。

武官達がもう少しで思い出しそうになっていた時、隙をついて静蘭が先手を打って斬り込んできた。
恐ろしく洗練された軽攻に武官達は受け身をとりながら後退する。
しかし精鋭と名高い御史台直属の武官達は二度は怯まず打ち返してきた。

激しい剣戟が始まると、玉蓮は静蘭へ向けて頭を下げると綱を掴んで二階へと登り始めた。
掌が千切れても絶対に登ってやると歯を食いしばって上へと這い上がる。

「玉蓮さん!」

「秀麗様………!」

二階へと這い上がった玉蓮は思わず秀麗抱きついた。すると秀麗も同じように抱き返してくれた。

「タンタンが長官の居所を内偵してくれたのでこのまま廊下を進んでください」

秀麗は捕まえに来たわけではなかったようだ。
きっとまだ、もうあと少しだけかもしれないけれど、見逃してくれる。

「ありがとうございます。こんな事になってお詫びもしようもありません。秀麗様……私、行きます」

話したい事がたくさんあったけれど、玉蓮は秀麗に背を向けた。これだけしてくれた秀麗達に何も恩返しが出来ない気持ちで胸が苦しくなった。

紅貴妃も、その医女も、もういない。戻れない。
でもお互い自分で選んだ道だから、うまくいかなくても、後悔しても、それは誰のせいでもないときっと思える。

回廊を走る玉蓮の息は絶え絶えになるくらい切れていた。
美しく着飾っていたはずなのに既に見る影もなくなっているくらい髪も乱れていた。

「……はぁ、は」

進んだ先の長く暗い回廊に一人の男が立っていた。

視界が霞む玉蓮にはそれが皇毅だとは直ぐには気がつけなかった。





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