師匠との約束
「玉蓮ねぇさん……本当に行くの?やっぱりやめておきましょうよ」
面白がっていた妓女は闇が深くなるにつれ、玉蓮がしでかす事の危うさを感じ始めていた。
玉蓮を心配する気持ち半分、自分にお咎めがないか心配する気持ち半分に混乱していた。
そんな妓女の手を玉蓮はしっかりと握った。
「私は行くけれど、貴女は私から離れていてね。もし私を引き入れた事が知れてしまったら、私から脅されていたと言えばいいの。私も『不老不死の丸薬』欲しさに貴女を脅したと認めるわ。実際そうだもの。ごめんなさい」
「ねぇさん……やめようよぉ…本当に捕まっちゃうよ。私、ねぇさんが診てくれるようになったから元気になったのよ。ほかの子もきっとそう。だからやめようねぇさん」
玉蓮を医者として認めてくれる者は少なかったし、玉蓮自身も刃物を使う難しい施術が出来る訳ではない。
しかし代わりに北の医倉で医術を教えてくれた玉蓮のお師匠様は鍼に長けており、その教えを真剣に学んで会得していた。
二年の修練で鍼灸銅人に刻まれる印全てに鍼をうてるようになったのだ。今でも感謝している。
そんなお師匠様は賭博が大好きで、負けたことがないくらいの強運の持ち主だった。
『支給される薬材が底をついても賭博があればなんとかなる』とか何とか言いながら、賭博で薬材を買う金を工面するかなり変な人だった。
しかし勝てる秘訣は運などではない、イカサマで勝ち抜いていただけだった。
医術のお師匠様はもう一つ、いらない技術を玉蓮に授けてくれていた。
ぼんやりほんわかしている玉蓮は人を騙すのに最適で、鍼をうつ正確さから手先が器用だと見抜いたお師匠様はある日、玉蓮にイカサマ賭博の相棒にすることに決めた。
医術の修練とは別に賽子を転がす修練まで真面目にこなす玉蓮も、もしかしたら変人だったのかもしれない。
『お前は才能がある!医術よりイカサマの!』
『そんなの嫌です!』
そんなやりとりを繰り返しながら、玉蓮は賭博で稼いだお金がお師匠様の酒代に消えないか目をすがめて見張りつつ、救われる貧しい人々の為にたまにお師匠様にくっついて賭博場へ行っていた。
今はもう出来ないけれど………。
お師匠様が最期に残した言葉が、その声が今になって聞こえてきた。
『玉蓮』
嗄れた声が脳裏にチカチカと蘇る。
『これからは薬材が無くなっても決して賭博場などへ行くな。あの神業は私と組んだから出来たことだ。それにもう、イカサマがバレた時、お前を守る者がいなくなる……約束してくれ、お前は医女だ。二度とするな』
玉蓮はコクリ、と頷いた。
『お師匠様が仰るならもう二度としません。他の方法を考えます。字が書けるようになって、工部に薬材下さいとお手紙を書きます』
聞いた方は、そんな事で薬材が届けばイカサマ賭博なんかしねぇよと思ったが、本当は貴族のお嬢様なのに一人で疫病が蔓延する医倉に取り残される玉蓮の身を案じながら、長い瞬きをした。
そのまま目が開かなくなってから、玉蓮は堰を切ったように嗚咽し慟哭した。
もし、お師匠様がまだ目を開ける事が出来たなら、『そんなにされたら安らかに死ねねぇよ……』と洩らすくらい強く身体を揺すり、死なないでくださいと声を振り絞り懇願し続けた。
恋とはほど遠い奇妙な関係の弟子と師匠だったが、玉蓮が一人でも生きてゆける活路を開いてくれた強い人だった。
同時に医術の限界を、人はいつか必ずいなくなると身を持って教えてくれた恩人でもあった。
だから、もういないけれど……。
その人との大切な誓いも、破るかもしれない。
皇毅と再び会う為ならばなんでもする。
玉蓮はふと、思う。
会いたいと思う気持ちはもう愛ではないのかもしれない。
この感情を名付けるとすれば、なんだろうと。
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