陽が落ちて始まる
男達が最も気を抜く場所であろうこの遊興場で、衿一つ乱さずに陸清雅は監察御史の顔で玉蓮を見据えていた。
その姿は威圧的であり、空気を察した妓女は椅子から立ち上がると紗の奥へ入ってしまった。
この場にいては邪魔であることを察し、もう一つ、清雅には妓女に興味を示すことが寸毫たりともないのだと玄人の勘が働いた。
客になりそうもない男に危険を冒してまで関わる事はしない。
しかしその場に取り残されてしまった玉蓮は、ポツンと一人になってしまい顔を上げられず下を向く。
皇毅の周りの人間は玉蓮の素性の怪しさに気がついており何を言われるのか怖かった。
いつかの夜に聞いた言葉が脳裏に蘇る。
『長官がそこの足手纏い、いえ罪人を抱え込む利点をお聞かせください』
嘗て彼が皇毅へと投げかけた問いかけの答えは闇の中。
”逃げ出した後宮女官”という名目でも立てられれば今すぐにでも捕縛されかねない状況だが、玉蓮は全てを覚悟した上でようやく顔をあげた。
「御史様、お久しぶりでございます」
返事が飛んでくる前に言いたいことをまくしたてる。
「いつぞやはお世話になりました。私は今化粧水を売り歩く商売をしておりまして、此処へもたびたびお邪魔させて頂いております。先ほど賭博という言葉をお聞きしましたが、愚鈍な私には何の話やら分かりませんのでご容赦下さい」
知らぬ存ぜぬを通すと、清雅は意外そうな顔つきで凝視している。
陳腐な言い訳のどのあたりがそんなに意外だったのかは分からないが、少しばかりの沈黙の後、いつも通りの声色で不遜なもの飛んできた。
「いつぞやに増して声が震えているな。そんな奴に何が出来るのか見届けてやらなくもないが、俺はお前に構っているほど暇じゃない。もしもう一度俺の前にノコノコ出てきやがったら、その時は容赦しない。覚えておけ」
二度とその顔を見せるな
最後にそれだけ言い放ち清雅は踵を返した。
奥で控えていた武官のような出で立ちの男も追って室を出て行ってしまった。
おそらく御史達の護衛をしているのだろう。
先ほど清雅は牢の中に入れてやると言っていたのに、二度とその顔を見せるなに変わったのは何故だろう。
二人が去ってしまうと入れ替わるように妓女が裏からひょこっと顔を覗かせた。
「玉蓮ねぇさ〜ん……大丈夫?」
取り残しておいて今更心配そうな顔。
そんなちゃっかりしているけれど賢い彼女に可笑しくなってしまった。
「大丈夫よ、行ってしまったわ。お仕事忙しそうだから此処にはもう来ないかもしれないわね」
「よかったぁ〜〜!」
ようやくいつもの愛嬌たっぷりの笑顔で紗を開けて歩いてくる。途中で無意味に一回転までしてかなりご機嫌が戻ったようだった。
椅子に座り直した妓女は、奥に逃げ込んでから布団を被って震えていたわけではなく、清雅と玉蓮のやりとりを一字一句聞き逃さずに耳を傾けていた。
「玉蓮ねぇさんとあの御史は以前会った事があるんだね。ねぇさんを捕縛するとかなんとか言ってなかった?」
「え、…………」
「そんな悲しそうな顔しないでよぉ!私はねぇさんの味方だもん!でもさ、監察御史に捕まえられるってことは、ねぇさんお城で働いた事があるんだね。だからアイツの名前言わなかったんでしょ?」
名前……?
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