嵐の前
盛大に鼻を鳴らす静蘭が本気でそう思っている事に秀麗は思わず吹き出した。
「あはは、そんなわけないじゃない!タンタンには愛しのレイカさんがいるんですからね」
「それはおそらく架空の人物です」
静蘭には分かっていた。そんなもんどうせ桃色草紙の中の人だろうと。
「え、架空の人物だとご存じなのですか?何故……?」
いきなり横から飛んできた玉蓮の質問に勢いづいていた紅家の有能な家人かつ、鉄壁の門番静蘭は固まった。
こういった事に疎すぎる秀麗はぼんやり話を流すだけだと油断したが、とんだ伏兵が横にいるではないか。
小首を傾げる玉蓮の姿に静蘭は麗しい作り笑いを繰り出し牽制した。
「私はおそらくと申しましたよ?ただの推測です」
レイカさんとやらが桃色草紙の登場人物であることを秀麗は知らない。
伏兵の無駄口のせいで、自分にあらぬ疑いがかからぬ為、ここは話を無理矢理畳むしかなくなった。
満面の笑みで静蘭が答えると、玉蓮はまだ何か言いたそうだが、我慢しているようだった。
口でも絶対に負けない自信のある静蘭は時間さえあればネチネチと相手をしなくもなかったが、とりあえず今はそれどころではなかった。
「話を戻しまして、万が一タンタン君が懲りもせずお嬢様に求婚話を持ちかけて来ましたら、どういたしましょうか。タケノコはまだ生えてませんので何を投げつければよろしいでしょう」
「何も投げないで」
不吉な言葉を吐きながら着いてくる静蘭を従え、秀麗はどりあえず門へと向かうことにした。
寝込んでいるはずの蘇芳が一体どんな用事で来たのか。
門の前にずっと立たせていたら凍えてしまうだろうから早く開けてあげなければ……嫌な予感がする。
紅家の古びた門には静蘭が落としたと思われる閂で塞がれており、重い閂をあげると外には今にも凍死しそうな蘇芳が震えながら待たされていた。
「タンタンお早う、こんな朝早くにどうしたの?え、すぶ濡れ!?」
「お嬢さんとこのタケノコ家人は本当に鬼だなーーー!」
開口一番の言葉に秀麗は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
説明がなくても何が言いたいのかよくわかる。
蘇芳の横に水が入った桶。
「せ、静蘭……まさか」
「私は冬でも土埃が立たないように水をまくたちでして、たまたまタンタン君にかかってしまいました。すみません」
「ごめんで済めば御史台なんかいらないんだよーーー!!」
「おおおお落ち着いて、タンタン。とにかく中に入りましょう」
ぶすくれている蘇芳は怒り狂って帰るかと思いきや、ノコノコと入ってきた。
これはきっと相当な用事があるに違いなかった。
(まさか本当に求婚しにきたとかじゃないわよね)
静蘭が不自然に思うのも無理はない。普段とは全く違う何だかやたら煌びやかな衣裳に身を包んだ蘇芳は確かに不自然だった。
衣服を乾かしている間、ボロ布をぶっきらぼう家人に成り下がった静蘭に投げられ、貴族のご子息から一転、物乞いのような姿で客間にやってきた蘇芳はぺこり、と一応頭をさげて椅子に腰掛けた。
「俺、あれから葵長官に直談判しに行ったんだよ」
「………直談判……ほんとに行ったの……冗談だったのに」
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