例えばそれはある人にとっては簡単なことでも、それが全ての人に簡単とは限らない。怖いと言った臆病な君。それでも一生懸命前に進もうとしてるのが、なんだかとても愛らしいんだ。





In the middle of difficulty lies opportunity





白川に変化が見られるようになったのはあの挨拶を返してくれた日から。あれから一週間以上がたった今では、白川は俺や大地とは普通に話せるようになった。

それにお互いの呼び方も変わった。白川、と呼び捨てするようになったし、スガ君、大地君と呼ばれるようになった。最初こそ照れているのかなかなか呼んではくれなかったし、呼ぶのにはかなり時間がかかっていたけど。

大地がその方が呼ばれ慣れてて自然だから、なんて言葉で白川はあっさりと呼び方を変えてくれた。大地には俺が白川を好きなことがバレてるからちょっとした協力のつもりだったんだろう。それにしても。大地が名前で俺が名字だなんて少し妬ける。俺達がお互いをそう呼ぶから仕方がないのはわかってるんだけど。


そして俺達の関係以外にもう一つ、白川は頑張ってることがある。


それは、クラスメイトに話しかけること
。白川だって、みんなが怖くないってこともわかってるんだ。それは大地と初めて話した時にちゃんと理解したって言ってた。それでも人の前に立てば俯いてしまうし、声をかけようとすれば声は震えてしまう。俺や大地と話す時はもう立って見下ろされた状態でも話せるのに、他の人だとやっぱりダメなんだそうだ。



「大地君…私、やっぱり無理だよぅ……」
「なんでだよ。俺達とは普通に話せるようになったじゃないか」



昼休み。人の少ない第二体育館近くで弱音を吐く白川。


白川は頑張ってる。

毎朝、俺と反対の隣の席や近くの席のクラスメイトに挨拶しようとして、震える手を握りしめて顔を上げる。声を出そうと口を開けるのに、そこまででまた俯いてしまう。やっぱり上から見下ろされるのは彼女にとっては恐れの対象なんだとか。

それならば女子はあまり見下ろされないし大丈夫だろうと思っても、そもそも私なんかが今更声をかけたら気味悪がられると言って、やっぱり無理なんだそうだ。


気味悪いなんてきっと思わないのに。

俺からしたらそうやって毎日一生懸命な姿はとても可愛らしくて、ポジティブな意見こそあれ、ネガティブな感情はこれっぽっちも湧き出てこない。



「俺達には普通に白川から挨拶してくれるじゃないか」
「だって、それは、大地君もスガ君も怖くないもん……」
「他のクラスメイトだって同じだろう?」



大地の説得にも自信なく困った顔で、しょんぼりとしてしまう。

俺や大地だけは怖くないと言ってくれるのは素直に嬉しいけれど、彼女の努力を応援してあげたいと思う。だってきっとクラスメイトと仲良くなれれば、白川の笑顔は増えるはず。俺はあの笑顔が好きだから。



「白川ー」



項垂れる白川を呼べば、眉を下げたまま俺を振り向く。もうそんな顔でさえも可愛く映ってしまう俺の目はもう末期症状だな。あんな顔で、さらに涙なんかためてたりしたらいろんな意味で抑えが効かないだろう。



「なんで俺達は怖くないのか、考えてみようよ」
「……スガ君は、挨拶を返せなくて無視する私にずっと声掛けてくれてた優しい人だもん」



それは、君が好きだったから。


なんて下心しかない言葉はとりあえず飲み込む。それに白川は無視していたわけではない。言葉を返せないなりに、視線だけは反応していた。



「じゃあ、大地は?」
「大地君は……スガ君のお友達だから」
「ぶっは」



白川の答えを聞いて大地本人が吹き出す。白川はそれを不思議そうな顔で大地を見つめて、意味がわからないのかの今度は困った顔で俺を見た。

「つまり、俺はスガの友達じゃなかったら他のクラスメイトと同じ扱いだったわけだ」
「えっ!?あっ…ちがっ!!そうじゃ、なくて!!その…!!」



ぶんぶんと手をめいっぱい振りながら否定するけど、大地に挨拶を初めてしたあの日を思い出せば恐らく大地も恐怖の対象だっただろう事は明らかだ。



「クラスメイトだってスガの友達なんだから大丈夫だろう?」
「うう…わかってはいるんだけ……」


「あ、大地ー!スガー!こんな所にいたのか!!」



俺達の隣で項垂れる白川の言葉を遮るような大きな声。その主は、俺達より身体も大きくて初対面で大体怯えられる、中身は髭チョコのあいつ。当の本人は笑顔だけれど、俺は内心頭を抱えたい気分だった。

だって白川が旭のこと怖がらないわけがない。普通の女の子にだってよく怯えられるのに…。



「あれ?何か話中だった?」



勿論旭は何も知るわけもないから平然と話しかけてくるが、白川は顔を上げられない所か固まってぷるぷる震えている。蛇に睨まれた蛙。というか見た目でいうなら猛獣を前にした兎のような状態だ。あ、兎は逃げるか。



「はぁ…お前なぁ……空気読めよ」
「え!?お、俺!?」



ため息をつく大地と慌てる旭を放っておいて俺は白川の顔を覗き込んだ。俺達より大きいし、まあ髭もある老け顔だから、怖がるのはわかるけど、真っ青になって黙り込んでいるのがいたたまれなくて可哀想に見えてくる。そっとその背中を撫でると、怯えた顔のまま俺を見つめてくる。


可愛い…。いや、そうじゃなくて。



「大丈夫。東峰旭、俺達の部のエースだよ」
「…バレー部の?」
「そ。見た目はこんなだけど、へなちょこだし怖くないから」



震える声で俺と会話を続ける彼女に微笑むと、ゆっくりと旭の方へ視線を向けた。



「へなちょこって言うなよ…」
「本当のことだろう?」
「大地の言う通り」
「…スガ君のお友達?」



俺達が笑い合う中小さく呟いた彼女に頷いたら、これまた小さい声で怖くないって言っているのが聞こえた。そんな言い聞かせなくてもって思うけど、まあ旭は多分初対面じゃ怖いよなぁ。



「あ、あの!!!」



胸の前で手をぎゅっと握りしめて立ち上がった彼女は旭に声をかける。俺はそれを見上げた。

やっぱり震えてるし頑張ってるのはひしひしと伝わってくるけど、少しずつ前に進もうとしてる。



「わ私、大地君とスガ君のクラスメートの、白川、雪乃ですっ…」



最後、耐えきれなくなったのか目をそらして俯いてしまったけれど。それでも今彼女は確実に一歩前に進んだ。










困難の中に、機会はある。
―アインシュタイン―






4