好きになったのがいつかなんてわからないし、さらに言うなら気になり出したのがいつかさえわからない。けれど彼女はいつの間にか俺の中にいて、そしてその存在はゆっくりと、でも確実に大きくなっていた。





The course of true love never did run smooth.





白川雪乃、彼女を一言で表すなら、存在感がないというのがぴったりかもしれない。クラスで誰かと話していたり、目立つことをしていたりなんてことはない。休み時間には黙々と読書をして、弁当も自分の席でさっさと食べて、授業が終わればそそくさと帰って行く。誰もそれを気にしないし、話しかけることもない。勿論部活なんて入っていないだろうし、委員会も環境整備委員というなんとも地味且つ活動内容のあまり知れていない委員会だ。クラスメートもそんな彼女をきちんと認識しているのかわからないけれど、実は俺にはそれで好都合だったりする。

俺は一度だけ彼女が笑っているのを見たことがあるんだ。


部活中に旭が打ち込んだスパイクが体育館の外に転がっていってしまって、ちょうど近くにいた俺が追いかけた。ボールを拾って立ちあがった時、ざあっと大きく風が吹いて俺は足を止めた。風の行先を目で追うように視線を横に向けた先に白川さんは座り込んでいた。一瞬体調でもよくないのかと思って声をかけようと思ったけれど、それがすぐに違うことが分かった。

その腕にはどこから迷い込んだのか小さくて少し薄汚れた子猫が抱かれていた。大切そうにその子猫に視線を向けて、白川さんは首を傾げて笑顔を向けていた。そのまま子猫を抱きかかえたまま彼女はその場を後にしていった。

白川さんが同じクラスなことも知っていたし、それからしばらくこっそり観察していたけど、彼女が笑顔を見せたのは後にも先にもその一回だけだった。まるで自ら存在感を消しているかのように、普段は本当に物静かだった。声を聴いたのだって授業中に先生に答えさせられた時くらい。


明らかに普通の女子高生とは違ったんだ。


だからかもしれない、彼女を普通のクラスメート以上に見るようになったのは。
最初から気になっていたのかもしれないし、最初から好きだったのかもしれない。今となってはそんなことは定かではないけれど。でも好きだから。声を聴きたいと思うし、笑顔を見たいと思う。



三年になって行われた二回目の席替えは俺にとってはチャンスでしかなかった。なぜなら白川さんが隣の席になったから。当然彼女から話しかけてくることなんてないし、俺は勇気を出して、けれどそれを悟られないようにごく自然に声をかけた。



「白川さん、次の席替えまでよろしく」



俺の声に反応してゆっくりとこちらを振り向く。まさか声をかけられると思っていなかったのか、白川さんは目を大きく見開いて、ぱちくりと数回瞬きをした。きっと俺が名前を呼ばなかったら自分が声をかけられたとさえ思わなかっただろう。普段何の表情も見せないのに、そんな仕草をするものだから、おかしくて可愛くて、俺は照れを隠すように笑って見せた。

絶対に俺を見た。それなのに白川さんは何もなかったかのように俺から視線を外して、前を向いてしまった。そしてそのまま少し俯き気味になって固まってしまった。



俺、もしかして怖がらせた?いやいや、旭じゃあるまいし初対面で怖がられるような顔も雰囲気もしてないよな?いや、でも相手は白川さんだし、もしかしたら俺がどうこうってよりも男がだめってことはありうるかもしれない。え、何じゃあもしかしてせっかく隣の席になれたのに話しかけたりってしないほうがいいのか?でも俺は少しでも白川さんに近づきたいし、それはちょっと…。



慌てて、でもそんな様子には見えないように、心の中で自問自答を繰り返していたら、聞き取れるか聞き取れないか程の小さな声が聞こえた。



「あの……いえ…はい…」



YesなのかNoなのかわからない返事をしたのは紛れもなく彼女。俺と目を合わせることはなく、前を向いて机に目を向けながら、ぼそりと小さく呟いた。俺はその返事をポジティブに受け取って、もう一度、よろしくなと声をかけた。


もしかしたら、俺は前途多難な恋をしてしまったのかもしれない。










真の恋の道は、茨の道である。
―ウィリアム・シェイクスピア―






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