−高い景色−




多分私が見ている世界は一般的な女の子が見ている世界とは違う。10センチ、ううん、下手したらもっと高い世界を見てる。

身長172センチの私。日本の女性の平均身長を優に10センチ以上上回るこの背丈は、私のコンプレックスだ。顔は多分普通、体型も太っても痩せてもない。ただ、普通より背が高い。たったそれだけで、女子として見てもらえないことの多さと言ったら、ない。


過去に一度だけ、告白したことがある。その時に言われたフラれ文句が忘れられないの。



「俺、小さい女の子が好みなんだよね」



ははっと笑った当時好きだった男の子。私の気持ちは一気に冷めた。
悔しかった。私だって好きで大きく生まれたわけじゃない。自分ではどう仕様もないことで、この人は私を好きになってくれないんだ、って思った。


背の順は昔から一番後ろ。男子には私より小さい人もいる。身長を活かしてバスケやバレーみたいなスポーツをやってみたこともあるけれど、どれもうまく行かなかった。

身長が高いことにいいことなんて一つもない。恋愛はできない。スポーツにも活かせない。背が大きくていいな、なんて言われることがよくあったけど、笑うしかなかった。だったら交換してよって。



「名字ー、これ資料室の棚に戻しておいてくれないか。一番上な」



先生にこうして使われることもよくある。男子が近くにいなければ、高いところ担当は決まって私。



「あ、はい。一番上ですね」



勿論、先生に言われたことに反抗しようだなんて思わないから快く引き受けるけれど。実は私の傷に塩を塗りつけてるなんてきっと誰も気づいてない。



「よいしょっ」



言いつけられた教材を持って階段を上がる。



何度も何度も上がった階段。何度も何度も入った資料室に向かって。


一段ずつ上がると、また視界が開けていく。どんどん高い場所に行くんだ。




でも私は高いところが嫌いだ。いいことなんて一つもないから。



「名前ちゃーん、また運ばされてるのー?」
「わわっ」



耳元でした声にどきりと心臓が跳ね上がって、手に持っていた教材を床にばらまいてしまう。



「及川君!急に声かけないで!あと近いよ、ばか!」



及川君は隣のクラスの男の子。バレー部の主将で、女の子にモテモテの甘いルックスを持つ色男。そんな人がなんで私にちょっかいをかけてくるのかはわからないけれど、よく話しかけられたり、からかったりしてくる。



「ひどいな、名前ちゃん!せっかく手伝おうと思ったのに」
「別にいいよ。頼まれたの私だし」



私は笑顔を張り付けて答える。こういう時くらい背が高いことを活用しなきゃって思う。他には何も役に立たないから。



「どうして断らないの?」
「仕方ないよ。背が高い人しかできないもん」



普通の女の子だったらきっとあの棚には届かない。だから背の高い私が頼まれるのは仕方のないこと。そんなことはわかってる。でも本当は嫌だよ。背が高いのはこんなことにしか役に立たない。


私は黙って階段を数段降りる。ばらまいてしまった教材を一つずつ拾って抱えていく。少しずつ増していく重さが私の心にのしかかっていくようだ。



「そんなに嫌な顔しなくてもいいじゃん」
「……及川君にはわからないよ」



背が高い女の子のつらさなんて及川君にはわからない。小さい子の方がいい、なんてもう言われたくない。



「そんなに嫌なら、今みたいに階段を降りたらいい。誰だって小さくなれる。でも俺は背が高いのはいいと思う」



さっきまでのふざけている顔が消えて、真面目な顔つきで私を見下ろす。



「サーブをしているとき、跳んでて思うんだ。高い景色っていいなって」



自信満々にそう言った及川君の目は、輝いていた。薄茶色の瞳がきらきらと眩しい。




ああ。

この顔つき。この眼。

覚えてる。


バレーをやっている時の顔だ。


過去に一度だけ及川君の試合を見に行ったことがある。

ミーハーな友達に連れられて行った体育館は熱気に包まれていた。その中で、周りの人が霞みそなほどの存在感のある人。それが及川君だった。一際大きかったのもある。でもそれだけじゃない。彼がボールを持つと空気が変わるんだ。



「行くよ」



シュルシュルと音を立てながら回していたボールを、片手で高く上げる。そして助走をつけて、とても綺麗なフォームで高く跳んだ。

その瞬間、私は羽根が見えた。白くて大きくて頼もしいそれ。


及川君は空高く跳んだんだ。


一瞬にして彼の世界に引き込まれてしまいそうになった。



バシンというボールが相手コートに叩きつけられる音ではっとした。周りではきゃーっという女の子の黄色い声、ナイッサーというチームメイトの声、いろんな声が聞こえていた筈なのに、私は声が出なかった。それほど及川君のサーブを打つ姿に魅入っていたから。




今、あの時の眼をしてる。真剣で格好いい顔だ。



「俺は高い景色が好きだから」
「…そう」



及川君はきっともっと高みに行きたいんだろう。全国大会で優勝して物理的だけじゃなくて、もっともっと高い世界。高い景色を見たいんだ。



「だからさ、俺は背の高い女の子って好きだよ」



やっと教材を拾い終わった私の段まで及川君も降りてくる。長い脚が一段一段階段を降りてきて私のいる踊り場で止まった。一歩私に近づいて目の前でにっこりと笑った。



「俺とならその高い身長もちょうどいいと思わない?」



そして、すっと私から教材の半分以上を奪ってまた階段を登っていく。何段か上がったところで振り返って、柔らかい口調でゆっくりと言った。



「だから背が高いことを嫌だと思わないでさ、俺の隣を歩いてよ」



私は何が起きたのかわからずに、ただ顔を真っ赤にしていた。


動けなかった。至近距離であんなに素敵な顔で笑うから。優しい顔であんなことを言うから。



私のコンプレックスは背が高いこと。でももしかしたら、悪くないかもしれない。





END