幸か不幸か
あの大雪が降った日に出会った、跡部景吾さん。いや、跡部君。
あの日から彼は私のバイト先のカフェの常連となり、多ければ週に3回は来店する。ただコーヒーを買って帰るだけのときもあれば、店内で食べ物を片手にノートを開いているときもある。
彼は来店すると必ず私に話しかけ、帰るときにもまた来ると声をかけてくれるんだ。そんな気遣いのおかげで最近はバイトが楽しかったりする。ついてない日常から抜け出せたような気がするんだ。
なんて思っていた頃もなんだかもう昔のような気がする…。
「名字」
後ろから呼ばれた名前に一瞬足を止めるけれど、私はすぐに歩き出す。私を呼んだ相手はわかっている。足を止めたら最後、彼に絡まれることは間違いない。
「おい、俺様を無視するとはいい度胸だな」
いい度胸も何も、跡部君に絡まれるとろくなことがない。けれど学校で見かけるようになってからというもの、必ずといっていいほど声をかけてくる。
初めて跡部君をバイト先以外で見かけたのは6月初旬。
生徒会の選挙でまさか一年生が会長に立候補するなんて誰が思うだろう。そう、彼は私の2つ年下の高校一年生。聞けば中等部でも一年生から生徒会長を務めていたのだとか。私は高等部から氷帝に通いだしたからそんなことは知らなかったけれど、彼は氷帝中の有名人らしい。
「名字、待てよ」
「…何か」
無視して逃げ切ることはできずに、腕を捕らえられる。仕方なく反応すれば、私よりだいぶ高い位置にあるアイスブルーの瞳が見下ろしてくる。
その瞳は何か魔力でも持っているのではないかと思うほどの美しさ。綺麗で透明で、それでいて奥には何も見えない。冷たい色のイメージとは裏腹に冷徹な印象は受けない。
「何で最近バイトいねぇんだよ」
「それ跡部君に言う必要あるの?」
もうすぐ試験期間に入ることもあって、私はバイトを減らしていた。通常なら週4,5回で入れているシフトが試験期間の二週間は週1回だけだ。
成績を下げないために、それは店長にも許可を得ているし、誰にも文句は言われない。言われる筋合いもない。
だいたい彼は生意気過ぎる。先輩である私を呼び捨てだし、タメ語だし。学校でもこうして平気で声をかけてくるし。
私たちの関係は店員と常連。学校で偶然再会したからといって、親しい間柄でもないのだり勿論、バイトに入ってないことを問い詰められる義理もない。
「…今日も行くから、いろよ」
跡部君は私の質問に答えることなく、ぼそりと呟いて私を通り過ぎて行ってしまった。今日は私のシフトは入っていないし、バイト先に用事はない。それにわざわざバイト先で会う理由はない。用事があるなら今言えばよかったのに。
跡部君の言ったことを無視して翌日バイトに行くと、店長に声をかけられた。にやにやとしているその顔面を思い切り殴りつけたい。なんだ、私何かしたかな。
「昨日も"彼"来てたよ」
「彼?」
「ほらあのすごく綺麗な男の子。最近毎日来てるな」
ああ、跡部君か。彼はお金持ちらしく、毎日カフェにきてワンコイン程度出したところで特段金銭的な影響はないのだろう。そんなにこの店が気に入ったのか。
「あ、ほら。今日も来た」
お店の正面ウィンドウから黒塗りの高級車を優雅に降りる彼が見えた。本当に毎日来てるのかな。昨日も来たみたいだし。
「名字…」
「いらっしゃいませー。ご注文お決まりでしたらお伺い致します」
普段のきりりとした眼を細めて、口元に笑みを浮かべたように見えた。しかしそんな彼の反応は無視して私はいつも通り接客する。
「お前、何で昨日いなかったんだ」
「お決まりになりましたらお声掛けくださいませ」
「…名字!!」
あまりに必死な声を出すので思わず視線を上げると、ぴたりと目が合ってしまった。綺麗な瞳がゆらゆらと揺れていて、あの出会った日を思い出す。
この透き通った蒼い瞳に惑わされ、いつ彼が現れるのかと期待してそわそわした勤務時間。
生意気な後輩に振り回されていたのだと思うと、なんだか無性に悔しくて、相手にしないようにしているのに。跡部君はそんなのお構いなしで私に構ってくる。
「跡部君、他のお客様もいらっしゃるから静かにして」
「…チッ」
舌打ちをして未だ私のレジの前で佇む跡部君。何か言いたいのか顔をしかめるが、最後にため息をついて注文をした。
「名字さん、休憩入っていいから彼と話し合いなさい」
「え?」
「いいから。なんなら休憩室使ってもいいし」
「ちょっ、店長!?」
何を勘違いしているのか店長の無駄な気遣いで休憩を入れられて、跡部君と休憩室に入れられてしまった。
話し合うようなことなんて勿論ないわけで。何故ってそれは私たちは親密に話すような関係にはないから。
「…名字、何で俺様を避けてた」
「は?」
しばらく黙っていたと思えば突飛なことを言い出す。私が跡部君を避けていた?まさか。学年も違うのだから普段は会うことがないだけだ。そもそもめんどくさくはあるけれど、避ける理由はない。
「バイト入ってなかったじゃねーか」
拗ねたように目を伏せて視線を合わせない。大人びて見える風貌からは想像できないような不満顔でぶつぶつと文句を言っている。そんな彼を見てなんだか可笑しくなってきて、私はふふっと笑っていた。
「何が可笑しい?」
「だって、そんなことで拗ねてるから」
「拗ねてねぇ」
まだそんなことを言って強がる跡部君だけれど、図星だったのか頬を少し赤く染めて眉間に皺を寄せる。そんな姿が可愛らしくて、私はまた笑みを零した。
「名字、連絡先教えろ。そうすれば俺様が来るときに連絡してやる」
相変わらずの上から目線で、命令口調にうんざりするのだけれど。私はもうこの年下の綺麗な男の子に逆らおうなんて思わないのだ。
「はいはい」
そうやって素直に携帯を取り出してしまうくらいには、私も跡部君を特別視しているから。初めて会った時から、跡部君は私には特別だったから。
私たちの関係がただの店員と常連から一歩進んだ瞬間。今日ここから新しい関係が始まった。
二匹様、リクエストありがとうございました!
とても丁寧なリクエストメールありがとうございましたー!本当に各方面でお世話になってるね?お世話してるね?うんうん。
短編としては私的にはちょーっと難しくてちょーっと長めになってしまったことをお詫びしておきます。まぁまず続きという形で書いたの初めてだったし。許してくだせぇ。
忙しいとは思いますが、また試書に足を運んで頂けたら嬉しいです!
2014.08.16 由宇
戻る