銀狐の正体

『好きじゃ』



その言葉を何度言おうと思ったことか。言いたいのに言えないジレンマをどうやってやり過ごしてきたことか。



「おいで」



その優しい声で俺は従順に彼女の元へ走り寄る。彼女の柔らかく細い腕に抱かれるのは、俺にとって至極幸せな時間じゃ。


俺は妖の世界で妖狐として生まれ、その中でも珍しい銀狐。年を重ねた一般的な妖は人間界で人間と変わりなく生活する。俺も例に漏れず、学生として昼間は制服に身を包んで生活しとる。



俺が名前に拾われたのはもう何ヶ月も前。

部活帰り、傘を忘れて大雨に濡れた。翌日風邪を引いて弱っていた俺を名前が拾ってくれたんじゃ。

弱りきって人間の姿を保てなくなるまで衰弱した俺を拾い、連れて帰り、世話をしてくれた。最初はすぐに姿を消そうと思ってた。けれど、甲斐甲斐しく世話をしてくれる名前にいつしか惹かれて、このままでいいんじゃないかと思い始めた。



「ぎんちゃん」



俺の毛色からか、彼女は俺をそう呼ぶ。それもひどく優しい声音で。じゃから俺はこの家で飼われることはなくとも、毎日のように夜ここに訪れる。わざと狐の姿で。



「ぎんちゃんは可愛いなぁ」



細い指で背中を撫でられ、俺は目を閉じる。

細い指が俺の毛を梳いて、遊ぶように細かく動く。俺が猫ならきっとゴロゴロと鳴いとるじゃろうが、生憎俺は狐。彼女の白い腕に鼻を擦り付けて気持ち良いことをアピールする。二人きりでいられるこの時間が俺には最高の幸せじゃから。


名前は俺にいろいろな話をしてくれる。

学校であったこと、友達の話、遊びに行ったときの話。他愛もない話を毎日飽きもせず俺に聞かせてくれる。

じゃから俺は名前が誰なのかを知っとる。俺と同じく立海に通い、風紀委員に所属する1つ年下。彼女の口から俺と同じテニス部に所属する真田や柳生の名前が出てくることもしばしば。さらにその二人繋がりで俺の名が出てくることもあった。




「…はぁ」



それなのに、今日はいつもと違ってだんまりを決め込んどる。溜息までついて、心ここにあらず。ただ俺の背を撫でるだけ。元気がない、と言えばそれだけなんじゃろうけど、何となく悩んどるようなそんな感じ。

元気がないなら元気づけてやりたい。悩みがあるなら聞いてやりたい。困っとるなら助けてやりたい。そう強く思うのに俺は言葉を発するわけにはいかない。

俺は今ただの狐じゃからの。正体を明かせば、この温もりを失うんはわかっとる。狐が人になるなんてありえんし、気味悪がられるのは自明。



「ぎんちゃん、聞いてくれるの?」



白い腕に頭をもたげたまま見上げていると眉を八の字にして、困ったような顔をした。それからぽつりぽつりと今日あったことを話していく。

委員会があって、次の校内風紀改善策を話し合ったとか、真田がまた厳しくなりそうだとか、そんな話をずっとしとる。



「…それでね、片付けしてるときに先輩と二人になったの。好きですって言われてね」



もうここまで話されればわかる。名前はその男の告白の返事に悩んどるってこと。続く名前の言葉では、恋愛対象として見たことがなかったんだとか。それでも仲のいい先輩だし、とても良い人だからどうしよう、と。



「考えさせてくださいって言ったら、是非前向きにお願いしますって」



すごく嫌な予感がする。風紀委員で名前より年上。そして何より学生とは思えない言葉の丁寧さ。俺の思い浮かぶ中でそんなやつは一人しかいない。俺のダブルスのパートナーのあいつ。



「どうしたらいいのかな…柳生先輩のことそんな風に見たことなかったよ…」



俺は予想通りのその名前を聞いて、決めた。もう正体を明そう、と。


名前の腕から飛び降りて、向き合う。目の前に座って、見上げる。


ごめん、な。じゃけどもう気持ちを抑えられん。好きなんじゃ。柳生になんて渡しとうない。



「ぎんちゃん?」

「名前」

「え…?」



狐の姿の俺に呼ばれたとは思わないのか、きょろきょろと周りを見渡す。信じられんのも無理はない。現実に妖狐なんて存在するなんて考えとるやつはむしろ奇特じゃ。


俺は意を決して人間の姿に戻る。子どもの大きさからみるみる大きくなって人型になり、全身の柔らかな銀の毛は消える。人型になればもう完全に立海に通う仁王雅治じゃ。



「あ、あの…え…」



名前は驚きなのか怯えなのか、言葉らしい言葉を話せず、口をぱくぱくとしている。



「俺は……妖狐なんじゃ」



手を握り締めて名前の次の反応を待つ。逃げられるかもしれない。気味悪がられるかもしれない。でも、俺は名前が好きじゃから。秘密にしておくんはもう耐えられん。



「仁王、先輩が…?よう、こ……?」



信じられない、と言うような目で見つめられた。そりゃそうじゃろうな。俺だって逆の立場なら信じられん。



「あの…本当に?」

「ああ」

「ずっと私を騙していたんですか?」



答えられなかった。騙していたわけじゃない。ただ、傍にいたかった。結果的には同じことかもしれんが、俺は純粋な気持ちだった。



「…すまん。俺は、名前と一緒にいたかっただけなんじゃ」



数ヶ月いろんな名前を見てきて、心から好きじゃと思った。友達のことで思い悩んだり、勉強に一生懸命だったり。自分が人じゃないとわかっていても歯止めは効かなかった。



「妖なんて気味が悪いのもわかっとる。信じられんのもわかっとる。じゃけど、名前が好きなんじゃ。柳生なんぞに盗られたくない」



唇を噛み締めて下を向く。沈黙が流れて、思わず目を瞑った。もう、彼女には近づくこともできんかもしれん。



「仁王先輩」



すっと柔らかい手が俺の頬に添えられる。びくりとして、俺は視線を名前に向けた。優しい顔をして微笑んでいた。



「まさか仁王先輩がぎんちゃんだなんて思わなかったけど、気味悪くなんてないですよ」



綺麗な銀髪ですね、なんて言って、手が頬から髪に移動する。いつもと変わらないあたたかい温もり。
ああ、なんて。幸せなんだろう。もうダメだと思っとったのに。





「なぁ名前、俺を好きになってくれんか」





気づいた時には、俺の口からその言葉が滑り出ていた。





水無月宙様、リクエストありがとうございました!

Twitterではお世話になっています。きっとリクエストをくれるとしたら仁王君だと思っていました。笑
私自身初めて特殊設定を書かせていただきましたが、これが私の限界でした。最後の仁王君の言葉を少し勝手に変えてしまったことも、重ねてお詫びさせてください。あまり強気な仁王君にならなかったもので…。
久しぶりに仁王君を書けて楽しかったです。至らない点も多々あるとは思いますが、楽しんでいただけたら嬉しいです。

これからも是非試書に足を運んで頂けたら嬉しいです。

2014.07.23 由宇

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