不意打ち彼氏

受験生にとって夏休みという長期休暇がどれほど大切か。そんなことはわかっているし、勿論勉強もしている。暑い中予備校に行き、朝から晩まで勉強漬けの日々。先生たちだってこの夏が勝負って毎日のように言ってる。



「んー…」



シャーペンを手放して、たった今まで解いていた問題集から目を離す。



「終わったん?」

「ここ、わからないの」



化学の問題集を示せば、どれどれと近づいてくる蔵先輩。高校の先輩であり家庭教師であり、大好きな彼氏。


五ヶ月前の卒業式から付き合い始めた彼氏、蔵先輩は今では輝かしいキャンパスライフを謳歌している。多分。


正直付き合い始めた時は奇跡だと思ったし、すぐ別れるとも思った。

だって蔵先輩はかっこいいんだもん。周りの大学生が放っておく筈ない。でも蔵先輩は別れようなんて一言も言わない。そんな素振りだって見せない。


付き合って今まで、喧嘩がなかったとは言わない。高校生と大学生だから生活は違うし、不安はいっぱいだったけど、蔵先輩はいつもちゃんと安心させてくれる。欲しい言葉を欲しい時にくれる。



「これはHClを加えたら白色沈殿が消えるから、」



丁寧に一から説明してくれる蔵先輩の解説は下手な先生より分かり易いと思う。だから私の学力からしたらワンランク上の大学に行くために少し苦手な化学も頑張れる。

もともとの志望校を蔵先輩に言ったとき、俺のためにもうちょっと頑張ってくれへんかなとさらりと言われた。嬉しさ反面不安もあった。今の学力じゃ模試を受けたところで判定が出ないから、そう言われても簡単に頷けなかった。

迷っていた私に蔵先輩はもう一言付け加えた。俺も一緒に頑張るから、って。


その言葉通り時間が許す限り勉強を見てくれたり、時には気分転換に連れ出してくれたりもする。

私に付き合わせてしまって大学生活を潰してしまってるんじゃないかって聞いたとき、一緒にいたいだけだから気にする必要はないと言ってくれた。蔵先輩は本当にできた人だ。



「せやからAが二価の鉄でBが…ちゅーことなんやけどわかった?」

「…多分」

「はは、微妙やな。ここ類題やから解いてみ?」



理解の遅い私が何度聞いても、嫌な顔一つしないで根気よくわかるまで教えてくれる。それはどの教科においても。お陰で私の成績は地道に上がっていってる。



「時間も時間やから、名前がそれ解いとる間に何か夕飯作ったるな」



私が一人暮らしの蔵先輩の家に勉強しにくると、ご飯を作ってくれるし帰りは家まで送ってくれる。どんなに断っても蔵先輩はにこにことしてその断りを聞いてはくれない。それどころか甘えてええんやでなんて言ってくれてしまう。



「ちゃんと解けるまでご飯抜きやで」

「はーい」



笑顔でキッチンに入っていく。1Kの部屋では見えなくなることもないから、つい料理をする蔵先輩に目を遣る。視線を感じたのか私を見た蔵先輩と目が合って、慌てて問題集に意識を戻した。


つい今しがた教わったやり方で解いていく。すらすらとまでは行かないけど、何となくわかる気がした。そのわかる気がするがわかったに変わって、最後にできたになる。勉強が好きなわけでもないし、むしろ嫌いな私にその喜びを教えてくれたのは蔵先輩だった。



「「できた!」」



キッチンからの蔵先輩と同時に声を上げた。びっくりして見上げると、優しい瞳で私に微笑んでくれた。



「蔵先輩、答え合せお願いします」

「ん。これ終わったらご飯にしよな」



解き終わったノートを差し出すと、黒目が私の文字を追う。赤ペンで何かを書き込んでいたのが見えて、もしかして間違っているのかなという不安に駆られる。何だか緊張の面持ちで採点を待っていると、最後にシュッという丸のつく音がしてノートが返ってきた。



「ようできとんで。よくできました」



蔵先輩の手が頭の上をポンポンと弾み、私は思わず笑顔になる。

この瞬間が好きなんだ。ちゃんと解けたら蔵先輩が褒めてくれる。だから私は頑張れる。私はまるで躾のされた動物のように従順で、単純だ。



「ほなご飯食べよか。疲れたやろ」

「うん。お腹減っちゃった」



勉強道具を片付ける私とご飯を用意する蔵先輩。

ノートの端に存在する綺麗な文字を見て、私の頬はその文字と同じ色に染まる。



「もう、蔵先輩!」

「ん?うわっ」



お皿を持って来た彼に私は思わず飛びついた。こぼしそうになるけど、そんなのお構いなしだ。真っ赤になった顔を見られたくない。



―――考えとる顔可愛ええ



不意打ちでそんなこと言ってくる蔵先輩は、本当にずるい。






そら様、リクエストありがとうございました!

今年受験生なのですね。お忙しい中、試書に足を運んで頂いて申し訳ないです。
白石にお勉強を教わりたいとのことでしたが、いかがでしょうか?白石はあの手この手で彼女のやる気を引き出そうとしそうだな、という妄想からこのような話が生まれました。
お勉強大変とは思いますが、頑張ってください。

受験が終わってお時間できたら、また試書に来ていただけたら嬉しいです。

2014.07.13 由宇

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