紳士との約束

教壇に立つとクラスの状況が良く見える。

寝ている子、内職している子、真面目に聞いている子。見えてないと思っていても、案外ここからは見渡すことができて景色は良好だ。



「ここは、独立分詞構文だから主語が必要で」



予習をしてきたノートを見ながら黒板の英文に文法を書き込んでいく。この行為も実習が進むに連れて慣れてきた。


一ヶ月に及ぶ教育実習もこの授業で最後だ。

中高時代に青春を注ぎ込んだ母校ともお別れになる。そして私がマネージャーをしていたテニス部の、可愛い後輩たちともまた暫く会うことはなくなる。



「名字先生、そこのスペルが間違えています」

「え、ああ、ごめんなさい」



すっと伸びた長い腕に指摘されて、慌ててスペルを直す。

何度実習を重ねても未だに緊張してしまう私は、おっちょこちょいな性格も相まってスペルミスをよくしてしまう。この時大抵指摘してくれる生徒は彼なのだ。



「ありがとう、柳生君」



私がお礼を言うと眼鏡をくいっと上げて、にこりと微笑む。私はその顔を見てからまた授業に戻る。



柳生君は高校三年生とは思えないほど大人びている。

妙に落ち着きがあって、言葉遣いも丁寧で、笑顔も少年のようというよりはむしろ成人男性のような綺麗さだ。見た目では明らかにインドア派なのに、テニス部ではレギュラーを勝ち取る程の実力者だ。それを証明するかのように制服の半袖から見える腕には筋肉がしっかりとついている。



「今日の授業はここまでにします。一ヶ月間ありがとうございました」



チャイムが鳴って私の授業が終わる。クラスの女の子たちがたくさん話しかけに来てくれて、やっぱり先生になろうと心の中で強く思い直して、職員室の実習生用スペースに戻る。

そこで私達実習生は一日の報告書を書いて担当の先生に提出する。それさえ終えれば一応は自由時間だ。


できるだけ早く最後の報告書を纏めあげて、行きたいところがある。テニス部だ。最後の最後にやっと部活に顔を出す時間をなんとか作ることができた。


今高三は最後のインターハイ予選中だ。常勝立海と言われる伝統あるうちのテニス部が予選落ちなんてするはずもないけれど、やはり高三の子たちにとってはこの大会は特別だから応援したいの。



「今日は見学させてもらいます。邪魔はしないのでよろしくね」

「邪魔なんてとんでもありませんよ。何か気づいたことがあればよろしくお願いします、名字先輩」



練習が始まる時に部長の幸村君に許可をもらうと、快く承諾してくれた。


幸村君は数少ない私が覚えていたテニス部の後輩。幸村君を始め、真田君、柳君は中一の時から目立っていたから。三人だけは高三と中二というほぼ関わりのない関係であったにも関わらず覚えていた。

彼らは後に三強と呼ばれるようになって部活を引っ張ってきてくれたのは顧問の先生に聞いている。



「先輩はベンチにでも座って見学していてくださいね」



柔らかな笑みを浮かべてそう言って、幸村君は羽織っているジャージをひらひらと靡かせてコートに入っていく。



部活が始まってハードな練習の中、そこに見つけた柳生君の姿。

授業中の涼しげな姿とは全くの真逆の姿。我武者羅に走ってボールを拾って汗だくな高校生。いつものクールで真面目な印象とは裏腹に熱く燃えるような印象を受ける。これが常勝立海のレギュラー、か。



結局私は部活が終わるまで見学をした。



「あの二年生は体重移動が少し遅れてるから打つときに手首に多少負担がかかっていそうかな。あとガムの子はウォッチが甘い気がした。それと、」



柳君がノートを持ってやってきたから気づいたことを伝えていると、私たちに近づいてきた男の子。それは紛れもなく柳生君だった。



「名字先生、少し、よろしいですか?」



控え目に声をかけてきたかと思えば、そのままテニスコートから少し離れたところまで連れていかれる。

私よりかなり大きい彼は戸惑ったような瞳を眼鏡の奥に据えて、私を見下ろしていた。



「…私は」



ゆっくりと口を開いて言葉を発する。誰もいないところまで来たのだからきっと大事な話なんだと思う。だから私は柳生君が話してくれるまで、彼を見上げたまま待つことにした。



「幸村君や真田君、柳君とは違って名字先生を知りませんでした」

「そんなのいいのよ。私も三人しか覚えていなかったもの」



軽く笑って首を振ると、柳生君も首を振る。眉を下げて違うんですと呟いた。

どうやら覚えてなかったことへの謝罪ではないらしい。真面目な柳生君のことだからそんな些細なことかともおもったのだけど。



「彼らと違って私はテニスを始めたのも中学に入ってからです。名字先生が覚えていないのも無理はありません」



中学でテニスを初めて、高校では既に全国レベルに到達してるなんて、柳生君の身体能力は相当高い。

真面目な外見からは想像つかない程、実は熱い性格なのかもしれない。それとも印象通りの真面目さのおかげで功を奏したのか。いずれにせよ、彼のテニスからはテニス歴の短さは伺えなかった。



「ですが、もっと早くテニス部に入部しておけば良かったと後悔しています」

「もっと上手くなっていたかもしれないものね」

「それもそうですが、」



視線を巡らせて続きを言いよどんでいたけれど、柳生君は意を決したように私をじっと見据えた。そして男の人にしては綺麗で、けれどもテニスのせいか少し日焼けのした手で、私の手をとった。



「貴女をもっと早く知りたかった。年齢はどうしようもありませんが、貴女の記憶には残れたかもしれない」



先輩に覚えてもらえていなかったという、小さな嫉妬なのかな。私も中学生の時は先輩に覚えてもらいたいだなんて思っていたことがあった。

初めて先輩に名前を呼ばれたときは、冗談抜きで飛び上がるほど嬉しかった記憶がある。テニスができるわけでも強いわけでもないどころか、私はただのマネージャーだったから覚えてもらえていなくても仕方ないとさえ思っていたからだ。



「でも、もう覚えたよ。忘れない」



にこりと返すと柳生君は軽く握っていた私の手を持ち上げた。なんだろうと不思議に思って見つめていると私の手の甲に柳生君の顔が近づいていく。



「追いつくことは不可能ですが、追いかけます。次はOB会で会いましょう……先輩」



跪くとまでは行かなくとも、まるで童話の中の王子様のように私の手の甲に唇を落とした。それから柳生君は妖艶に笑うのだ。


思わず私は赤面する。その魔性の笑みはとても四つも年下には見えなかったから。





柏木優斗様、リクエストありがとうございました!

はじめましてじゃないね、こんにちは。というか柳生も初書きじゃないからね!?
生徒×先生とのリクエストだったけど、いかがでしたか?あまり年上過ぎてもと思って教育実習の先生にしちゃったけども…。
普段あまり書かないキャラは難しいけど、考えるの楽しかったです!ありがとう!!

また暇つぶしに試書にいらしていただけたら、嬉しいです。


2014.06.15 由宇

戻る