初めて私のバイト先に財前君が訪れてから、彼はよくここに訪れるようになった。バイトの私は当然毎日シフトにはいっとるわけやないけど、それでも頻繁に会うっちゅーことはそれよりも多くの頻度で来てるのか、あるいは彼の暇な時間が私のシフトと奇跡的に重なりまくってるのか。 何はともあれ会うことが多くなった私たちの会話が増えるのは必然で。お客さんが多くないときは財前君は普通に話しかけてくる。その内容は所謂世間話みたいなもんで、たいして大事な内容も含まれてはいない。せやけど私は財前君と話すときはいつだって緊張する。それはドキドキってもんやなくて、ハラハラの方。私がちーってばれないように、ひかるが財前君だって知っとることを知られないように、最新の注意を払って話すからや。 「名前さん」 財前君が名前を呼ぶときは決まって雑談をするとき。店員として呼ぶときは必ずすいませんとか注文お願いしますとか、決して名前を呼ぶことはない。忙しい時でなければ多少お客さんと話とっても怒られへんし、財前君はきちんと手の空いとるときしか声をかけないようにしてくれとる。 「今日はあんまり客おらへんのですね」 今店内におるのは財前君を含めてたった3組のお客さんだけ。いつもならこの時間はお客さんがたくさんおるし、財前君は部活があるとかであんまりおらん。けど今日は雨やから。わざわざカフェに来てだべろうなんていう女子高生も少ないんやろう。 「雨やからねぇ…こう暇やともしかしたら早上がりかもしれへん」 雨の日とか予想以上にお客さんが少なかったりするとたまに予定のシフトより早く上がることがある。窓の外を見るとどんよりと暗い雰囲気の中、傘をさして歩くサラリーマンや学生が見える。そしてその人たちはうちの店に目もむけずに通り過ぎていく。たとえば駅前にあるような普通のカフェとかやったら天気なんてあまり関係なくお客さんも入るんやろうけど、うちみたいなコンセプトカフェは天気に売り上げが左右されることが多い。 「名字さーん、店長呼んでますー」 同じホールスタッフの子に声をかけられて、私は財前君に声をかけてキッチンに下がっていく。このタイミングでの店長からの呼び出しっちゅうことはたぶん早上がりや。 「あの子、名字さんのお友達?それとも彼氏?よう来てるけど随分と男前やね」 財前君は彼氏ではない。確かにかっこいいし、そうなったら喜ばない女の子はおらんやろうけど。さらに言うなら友達かどうかも怪しい。彼は千紘の彼氏の後輩であって、直接私との面識はなかったんやから。 「そんなんと違います。ただの知り合いですよ」 「照れなくてもええのにー」 店長はくすくすと笑いながら、それから本題に入った。予想通り早上がりでせっかくやからなんか食べていったらと勧められた。このカフェでは店員は月に一回好きなメニューをなんでも試食できる制度があって、店員はアルバイトも含めてみんなその制度を利用とる。店長がせっかく勧めてくれるんやし、なんか食べていこう。まだ財前君もおるし。 私は善哉を頼んで更衣室に入った。今日は学校帰りやから花女の制服に腕を通す。制服で財前君に会うのはなんだか不思議な感じで思わず笑みが漏れた。 「財前君、席ええかな?」 「は?え、名前さん?」 突然店の制服ではなく学校の制服で現れた私を見て、財前君は目を白黒させた。そして上から下まで私をゆっくり見て、ぽそりと花女と呟いた。 「私が花女に通っとったらおかしい?」 にやりと笑って財前君の前の席に座る。友達によく言われるんや。花女生らしないって。伝統ある花女は品行方正でおとなしい淑女が通うところやって噂がたっとるくらいやから私が通っとるのが不思議なのも頷ける。せやけど私も千紘もなんやかんやずっと女子高やし、噂に違わぬ校風であることは間違いない。 「いえ。やっぱり花女生やったんすね」 そのやっぱりはもしかしたら千紘が花女生やからってことなんやろうか。おそらく普通に私と接していれば間違いなく花女生やとは思われない。 財前君と話していると、ほどなくして私の善哉が運ばれてきた。ごゆっくりどうぞと間延びした声で言う同僚にお礼を言って、さっそくスプーンを握る。 「ここの善哉アイス乗っとるんありましたっけ?」 私の目の前に置かれた抹茶アイス乗せ善哉を目ざとく見て財前君に問いかけられる。その答えはノーや。うちには善哉はベーシックなものしか置いてへん。けど従業員が食べにきたりしたときだけ、こっそりと内緒でサービスをしているのは店長までも目をつむっとることや。 「従業員同士の暗黙のサービスなんや。せやから内緒、な」 しーっと人差し指を口に当てて、秘密のポーズをとる。そして悪戯が成功した時のようににっこりと笑った。私は善哉を食べながらそのおいしさで幸せに浸る。せやけどそれもほんの短い時間やった。それは財前君がとんでもないことを言い出したから。 「あんた、ちーやろ」 その声がはっきりと耳に届いて、私は呼吸が止まるかと思った。 |