ねえねえ、ランチどうするぅ?あ、私今日からお弁当にしたの。私もだよー。やっぱ、皆そうだよねぇ。そうそう、今日から節約しなきゃ。
 昼休みに突入した途端きゃっきゃとそんな会話をはじめ、可愛いお弁当箱に詰められたお弁当でひっそりと静かな女子力対決を開始したOLの声と、カタカタと自分の手元で休むことなく鳴り続けるキーボードを叩く音とが、頭のなかで鬩ぎあう。ちくしょう、うるさい。
「どうだ、終わるか?」
「8割方終わりました。午後の会議までには、何とか」
「よし、頼んだ」
「了解です」
 自分もパソコンから顔をあげないまま訊ねる隣の隣のデスクの部長に、私もパソコンから目を離さず応える。入社当初ならまず考えられなかった自分の行動だが、入社して数年、同時に自分の仕事以上の仕事をこなし雑務を押し付けられ続け数年、すっかり部長とは信頼関係を築き上げたと言えるだろう。今日で入社二年目になる馬鹿な後輩が完成させずに入社式の手伝いに行ってしまった尻拭いとして、彼が完成させるはずだった今日の午後の会議で使用する資料を作成させられるくらいには、部長から信頼されている。うーん、それはそれで何か嫌なんだけど。
「すんません、お先昼休憩貰いますよ」
「あいよー。いってらっさーい」
 申し訳なさそうな声音で私にそう言いながら、同期がオフィスを後にする。それを見向きもしないまま手を振って送り出しながら、同期なのに、と胸のなかで悪態をついた。
同期入社なのに、私と彼じゃ、仕事量がまず違う。そりゃぁ、わけあって同じ四大卒よりもひとつ年上の私だけれど、同期は同期じゃないか。
何だこれ。ふざけんな。私だけすっかり仕事量がベテランのそれだ。まだまだ数年の若輩だっていうの。廊下を歩けば、違う部署の人に「入社式の会場は反対方向だよ」と教えられてしまうくらいには若い見た目だってしてるっていうの。いや、まぁ、これはこれで悲しいんだけれど。
何で新入社員に見えたんだか。そんな新しい自分の職場に夢と希望を抱いたキラッキラの瞳はしてないし、むしろ連日の過労で目の下のクマは誤魔化しきれず、顔色は最悪、髪は傷んでばっさばさの、誰がどう見てもただの社畜だというのに。しかも間違えられた回数が1度じゃないのが笑えない。3、いや、4回だっただろうか。5回だったかもしれない。何かもう、どうでもいいや。
 カタカタカタカタ、と、絶えずキーボードが音をたてる。
 よし、ずっとやってた甲斐あって、もう、終わりも見えて……あれ?
「ぶ、部長」
 やっぱり、パソコンから目を離さずに部長を呼ぶ。微妙に声が震えた。あー、ちくしょう。泣きたい。
「何だ?」
「これ、昨年度の決算報告、不備あるんですけど」
「何だって?」
 がたっと部長が大きな音を立てて立ち上がる。
「本当だ……」
 私のパソコン画面を注視して愕然とした声を出した部長は、数秒思案するように顎に手を当てて黙した。
「社内メール……いや、駄目か。昼休みで見てない可能性もある」
 自分の案を自分で取り下げ、また数秒間黙考した部長は、なあ、と申し訳なさそうに私に問いかけた。
「資料はあとどれくらいだ?」
「最終ページのみです」
「わかった。じゃあ、そこは俺が何とかする。……から、これを大川に持っていって最終確認をしてもらってくれ」
 つまり、走れと。どこにいるかもわからない監査の大川さんのもとへ、どうにかして時間内に行けと、そういうことらしい。無理だ。絶対、無理だ。
 いまは昼休み。普通に考えて、自分の部署にはいないだろう。社内食堂か、ビルの下にあるレストランか、近所のカフェか、もしかしたら、中庭やテラスでお弁当かもしれない。
「いつもどこでお昼食べていたかわかります……?」
「いや、結構あちこちで食べてた気がする……し、昨日までの傾向なんか参考にならないだろう」
「ですよねー」
 わかりきっていた答えだけれど、ほんのわずかな希望さえも潰えて絶望する。4月1日。後輩が資料を完成させずに入社式の手伝いに行ってしまったから代わりにやってくれ、と言われたときは何のエイプリルフールだ、笑えない、と一蹴したものだが、残念ながらそれは真実だった。そして、今日から消費税率引き上げ。先ほどOLたちが、今日からお弁当にしたの、などとほざいていたのも、そこに起因するのだろう。おかげで私は昼休憩の人探しすら困難になった。ただの厄日だ、ふざけんなよちくしょう。
「行ってきますっ!」
 問題の不備のあるデータをUSBにうつしてポケットに突っ込み、オフィスを飛び出す。まずは社内食堂、と思って階段を駆け下りれば、危うく上ってくる先輩とぶつかるところだった。
「あっと、すみません」
「いやいや、こっちこそ、ごめん」
「あの、大川さん、どこにいるか知りませんか?」
「大川ァ?」
 大川さんと同期の先輩は、考えるように視線を宙に漂わせてから、あっ、と声をあげた。
「駅前のパン屋あるっしょ?毎月1日はポイント2倍だからあそこに行くって昨日は言ってたよ」
「ありがとうございます!」
 お礼も言い終わる前に階段をダッシュで駆け下りる。先輩のうしろにぞろぞろとくっついていたのは、新入社員だったのだろうか。すごく驚かれていたような気がするけれど、ちょっと気にしていられない。
 駅前まではダッシュで10分。最近運動不足だし、今日はヒールがないとはいえパンプスだし、それくらいの見積もりでいいだろう。
 もはや人の視線なんて気にしている余裕はない。とりあえず、走らなきゃ。午後の会議までに、間に合わせなきゃ。その一心で、ただ走る。
 そんな、私の死に物狂いの努力が無事実ったと言えるだろうか。昼休み突入から40分経過。いまだぜーはーと息を乱した私の目の前で、無事、資料は完成した。
「できたぁ……」
 やばい、なんだこれ。超感動する。
「お疲れ、いや、本当に。ご苦労さん。ありがとう」
「いえいえ……」
 安心すると同時に、目の前のことで手いっぱいで気がつかなかった空腹に気がつく。やばい。昼休みも半分以上終わっている。増税とはいえ買い控えなんて考えていなかった私は、買わないと何もない状態だ。
「昼休み、10分のばしていいよ」
「まじっすか!?」
「うん、おいしいもの食べておいで」
「では、お言葉に甘えて……」
 昼休みのうち40分を労働に宛がわれたのだから10分延ばされたとて怒ってしかるべしなのだが、生憎空腹と疲労でそんなこと考える余裕のなかった私は、その申し出をありがたく享受するだけだった。
 これだけの時間があれば、ラーメンも食べにいける。コンビニ飯か、と思ったが、行けるなら、ラーメン屋に行きたい。
 ここの近所のラーメン屋は女性をターゲットにしているため少しおしゃれで、そして何より、私はあの店の日替わりランチメニューが好きだった。火曜日はラーメンと回鍋肉。これを食べるために、週の半分は持参するお弁当を火曜日はいつも持ってこないし、増税したところでそれを変えようとも思わなかったのだ。
「いらっしゃいませ」
 他の店と比べて丁寧な言葉遣いの飛び交う店内で、今日も笑顔で出迎えてくれたのは「しらいし」くんだった。胸の名札のその名前の変換が無難に白石なのか、予想外の市雷士なのか、それはわかりかねるが、火曜日のランチ時間帯にいつもいる私よりいくつか下に見える男の子だ。
「良かった」
「え?」
「回鍋肉、あと一食分しか残ってなかったんですよ」
 いつもの関西訛りでそう言いながら、心底安心したかのようににっこりと微笑む彼は、そのすらりとした体躯と整った顔立ちとで、まぁ、安直な言い方をすればすごくかっこいい。
「いつもの、で、ええですよね?」
「はい」
 顔を覗き込むように確認されて、心臓の鼓動が僅かにはやくなる。
 私がこの店を訪れる理由は、ラーメンと回鍋肉のためだけではなく、この人と会いたくてでもある。絶対に私より年下の彼は、最初こそ「恋愛対象になるはずがない」とはっきり思っていたために、イケメンだなあ、くらいの感想で終わっていたのだが、次第にそれが変容していった。
関西の訛りのある敬語が。注文を取りながらペンを走らせる綺麗な左手の指が。ラーメンをテーブルに置くとき、間近で見られる腕の筋が。綺麗な歩き方が。しっかりした態度が。そして、私をじっと見つめる綺麗な瞳が。
 彼のひとつひとつが、いまや、私をドキドキさせてしまう。これが恋なのだ、と考えれば、あとはもう、簡単だった。
 年下は恋愛対象外という自分の考えを打ち破って、彼に恋してしまった。常連客と店員。それは、たぶん、実る見込みのない関係性だけれど。
「に、しても、良かった」
 いつもより大盛り、と私の目の前に彼が置いてくれた回鍋肉を「美味しそう!」と見るフリして彼の左腕の筋に目をやっていた私は、一瞬彼の発言に戸惑う。
「今日、来てくれへんのかと思った。いつもより、遅いし」
「はは、仕事が、ちょっと立て込んでて……」
 私が来る時間まで、把握していたのか。まあ、私は毎週毎週来ているし、時間も確かにいつも同じくらいだったけれど。驚愕しつつも、彼が私を意識してくれていたみたいで、少し嬉しい。ぱちん、と割り箸を割って、手を合わせる。
「やっぱ、今日はいつもよりお客さん少ないし、常連さんでも、来てくれへん人とか、おったから……ほんま、良かった」
 安堵したという様子で微笑む彼は、その後、一瞬だけ少し悔しげに眉根を寄せた。
「会えなくなってしまうんやないかと、思ったから」
「え?」
 彼の発言に戸惑って、回鍋肉を摘まんだまま箸が止まる。この言葉、この切なげな瞳。いままでの、会話の流れ。
 これ、は。
 彼が私に会えなくなるのは寂しいと、そう解釈していいのだろうか。都合よくどこか聞き間違えてしまっているのだろうか。だけど、もう、私には、そうとしか聞こえなくて、彼の続く言葉を待とうと彼の瞳を見つめる。
「結局、所詮はお客さまと店員やから、来てもらえなくなったり、俺が辞めたりしたら、もう、会うことすらできなくなる。そんなの、耐えきれへん」
 数秒間、互いに黙ったまま視線だけが合わさっている。
「変なこと言うて、堪忍。ラーメンとってきます」
 その沈黙を破ったのは彼で、この場を脱したのも彼だった。私はただ、呆けたように硬直したまま。
 え?だって、いまのって、まるで、告白?
 いつも涼しげな彼の瞳が一瞬熱を帯びたのも、ラーメンを持ってきた彼が照れくさげに微笑んでいたのも、まるで、そうとしか思えない。
 あぁ、もう。
 午前中の疲れなんて、ぜんぶ吹っ飛んだ。もう、いい。何かもう、どうだっていい。使えない後輩も部長の無理強いも、いまなら、なんだって耐えられる気がする。
「ねえ、しらいしくん」
 会計の際、彼に問いかける。このままじゃ、性に合わない。やられっぱなしは、何か、嫌だ。
「火曜日以外は、いつシフト入ってるの?」
「水曜日、金曜日の夜と、土日は通しです」
「へえ。じゃあ、今度は火曜日以外も来るね」
 スタンプカードを手渡す際に、一緒に名刺も押し付ける。残念ながら会社のしか持ち合わせがなかったのだが、まぁ、致し方ないだろう。
「じゃあ、ごちそうさま」
 何にもなかったように振る舞って店を出ると、一気に顔に熱が集まった。やって、しまった。
 今日中に連絡がきたら、脈ありってやつなのだろうか。あぁ、もう、よくわからない。



春の嵐



「実のところ」
「ん?」
「名刺とか、そういうの手渡されるんは初めてやなかったんやけど」
「あー、ハイハイもてますもんねー」
「こんなんで嫉妬してくれるん?ほんま、かわええ」
「論点ずれた」
 彼にデコピンを喰らわすと、痛くもなさそうに「いたた」と額を抑えた。立っていたらデコピンさえ困難な身長差だから、ソファに二人で座っているこの状態が実はかなりありがたい。
「そんでな、名刺とか、何回か渡されたことあるんやけど、でも、受け取ったんも、そこに連絡したんも初めてやった」
 蔵の手が、私の肩にまわされる。
「あ、ねえ、ラーメン食べたい。食べに行こう」
「ちょお、今絶対そんな雰囲気やなかったやろ……」







にひきー!!まさかくれるとは思わなくて、ありがとうありがとう愛してる(/ω\*)
社会人設定てあんまり読まないし書かないけど、ほっこりした。私もこれからいろいろ頑張る(((o(*゚▽゚*)o)))
また遊ぼうねー!!!!!


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