とくべつな人






どうしてこうなった、と問えば。あたしが柳生に流されてしまったからなんだろうけど。


「良い天気に恵まれましたね」

「まぁ、そうだね」


空は青く、風も気持ち良い程度に吹いている。どこの誰に聞いたって良い天気なのは否定されないんだろう。それは良いことだけれども。なんでこんな日にあたしは駅で柳生と待ち合わせをして、電車に揺られているんだろう。

怖がらせてしまったお詫びとか言っていたけど、怖がってなんかいないし。だからお詫びされる理由だってないのに。


「ねぇ、どこいくの」


行き先も告げられずに柳生についていくだけ。立海テニス部にしては珍しく練習がない休日をあたしと一緒にいていいのか。


「名字さんはどこか行きたいところはありますか?」


いやいや、おいおい。それを今聞くのかよ。だってもう電車に乗ってるのに。そりゃ行きたいところなんてないけどさ。というか今日なんで柳生といるのかもわからないし。


「…別にないけど」

「では私についてきていただいてもよろしいですか?」

「いいけど。どこいくんだってば」


柳生は嬉しそうに笑って、秘密です。なんて言う。その笑顔が、男に言うのもなんだけど、可愛らしくて。まるで少年が向ける笑顔のように純粋な笑みだったから、私まで笑ってしまった。









一日中柳生についてあっちにいったりこっちにいったり。気づかってくれる柳生のおかげで楽しくて。歩調を合わせてくれたりだとか、ドアを開けてくれたりだとか、普段はされたいとも思わないのに女扱いされてるのもなんだかくすぐったく感じた。

明らかにこれはデートに見えると思う。ただ一般的なカップルと一つ違うのは、あたしたちの距離。必ず距離がある。あたしたちは付き合ってないから当然なんだけれど。それがなんだか歯痒い。


「楽しかったですか?」


最後に海に来て、長い楽しみも終わりに差し掛かる。そこで問われた柳生の質問にあたしはふっと笑って答える。


「…柳生は?」


休みをわざわざあたしと使ってくれてしまった柳生。こいつが楽しくなかったなら、あたしこそお詫びをしなきゃいけないくらいだ。私は、すごく、楽しかったから。


「私はとても楽しかったですよ」


眼鏡を押し上げて海の方を見つめる。その横顔が夕陽に照らされてかっこよく見えてしまうくらいには、あたしはもう柳生が好きなんだ。今日一日一緒に過ごしてわかった。

あたしは柳生が好きだ。


「そ、ならよかった。じゃ帰ろ」


砂浜から出て道路に出ようとしたら柳生に腕を引っ張られた。いつぞやの仁王を思い出して、これはダメだと瞬時に体が反応した。バランスを崩さないように足を一歩引いて踏みとどまった。

あんなアングルで柳生を見たら確実に赤面する。仁王だから鳥肌だったけど、柳生をそんなに至近距離で見れない。


「名字さん…すみません」

「何なの、早く帰ろうよ」


頼むからそのまま帰してくれ。あたしが女の子でいる時間は終わったんだ。明日からまたいつも通りでいいから。今日はこのまま楽しい気分で終わりたい。


「嫌です」

「はぁ?」


振り返って柳生を見上げるとひどく苦しそうな顔。あたしの腕を離さないまま手を引いた。事故ではなく意図的に、あたしは柳生の胸のなかに収まった。


「名字さんも楽しかった、と思ってもよろしいでしょうか?」

「…あ、う…ん。楽しかった…から。離そうよ、柳生」


あたしを抱き締めたまま一向に離す気配を見せない柳生。綺麗な茶色い瞳にとらえられて、その中の真っ赤な顔をした自分と目があった気がした。


「すみません、離せません」


海からくる風があたしの髪を撫ぜる。風以外は何も感じられない。音も何もかも。ただ柳生に抱き締められているという事実があたしの体温をぐんぐん上げる。


「貴女のことが好きなのです」


そんななか聞こえた低い声は、あたしへの告白だった。




(…あたしもだよ)








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