一つのしんじつ






今日も授業をサボって地学資料室。仁王も来ていて、それぞれが好きなことをやっていてうだうだとしている。


「名字ー」

「何?」

「あつーい」

「夏だからな」

「俺溶けるんじゃけど」

「ここ汚さないでね」

「冷たいのぅ」

「あたしの冷たさで涼しくなった?」


ちぇ、とでも言いた気な顔で仁王は教室の奥にある古びたソファーに寝転がった。地学資料室とは名ばかりで実際は倉庫みたいなものだから、使われなくなった備品が放置されている。このソファーも昔会議室か何かで使われていたものだろう。


「そーいや、これやるぜよ」


制服のポケットから取り出した何かをあたしに投げる。それをキャッチして、見るとそれは温くなった缶ジュースだった。何であたしが仁王からこんなものもらわなきゃなんないんだ。


「お詫び、じゃと」

「はぁ?仁王になんかされたっけ?」

「俺じゃなか。柳生じゃ、柳生」


柳生、という名前を聞いてあたしは思わず缶ジュースをぎゅっと握って、顔を歪めた。 それを見た仁王がにやりと笑い、ソファーから起き上がる。


「なーにがあったんじゃ、名前ちゃん」

「…」

「柳生に聞いてもはぐらかされて何も言わんのじゃけど」

「…別に何もねぇよ」


何か、ならあった。そしてそれは確実にあたしの気持ちに変化をもたらした、とは思う。でもそんなこと言わない。ただ女であることを認識させられただけ。そう思ってる。そう思いたい。


「何もないわりには顔が赤くなっとるがのぅ?」

「っ…るさい!!」


にやにやをやめない仁王の尻尾をぐっと引っ張ってあたしは仁王から顔を背けた。

捕まえられたあの時。確かにあたしは柳生の手から逃れることは出来なかった。でもそれと同時に感じてしまったんだ。柳生がかっこいい、と。いつも真面目面して注意ばかりしてくるあいつを。不覚だった。男にそんな感情もつはずがないと思っていたのに。


「名字」

「なん…っ!?」


仁王に名前を呼ばれて振り替えるとぐいっと腕を引っ張られた。あたしはいきなりのことにバランスを崩して仁王の腕の中にダイブする。何なんだ、最近。柳生といい仁王といい。


「仁王、鳥肌たつから離せ」


さっきまで暑いとか言っていた男が何で余計に暑くなることしてんだよ。溶けるんじゃなかったのか。あたしまで一緒に溶かす気かよ。いや、それは違うか。そんなことよりとにかく鳥肌が…。


「よし。さ、戻るぜよー」

「はぁ?お前何がしたいんだよ」


すぐに離れた仁王はあたしの腕を引いたまま地学資料室を出た。仁王の教室の前まで来たときに、その入り口にあまり会いたくない人物を見つけてしまった。


「やーぎゅ!!」

「はぁ…仁王君。ご自分で来るように仰っていたのにどうして教室にいらっしゃらないんですか」


呆れたように仁王を見て、次にその仁王の手の先にいるあたしを見た。それからふんわりと笑って、こんにちはと挨拶をされる。


「で、あなた方はまたおサボりですか」

「まぁのぅ。名字のファーストハグをいただいたところじゃな」

「は?ちょ、仁王!?」


ファーストハグってなんだ?それよりあれは事故だろ。あたしは仁王のことハグしてないし。そもそも仁王がいきなり引っ張ってきたのが悪いだけだし。変な誤解を生むような言い方やめろよ、ふざけんな。


「貴方が無理矢理したんでしょう。友人と言えど女性にそのようなことをするのはいただけませんよ、仁王君」


厳しめな口調で仁王を叱咤して睨む。その視線があまりに鋭くて一瞬本当に柳生だろうかと思った。いつものあの優しげな表情からは想像もできない。例えるならテニスをしているときのような真剣な顔。


「すまんすまん、冗談じゃ。名字も誤解を与えるような言い方して悪かったの」


仁王はそれだけ言って自分の教室にさっさと帰っていった。取り残されたあたしたちは二人して小さく息を吐いたのだ。


A組に戻ってくると柳生が口を開いた。


「仁王君がすみませんでした」

「いや、柳生が謝ることじゃないし。それよりジュースありがと」


仁王の素行について柳生が謝罪をする必要は全くない。柳生は仁王の保護者じゃないんだから。それにしてもあいつは何を考えていたんだろう。


「ジュース?」


意味がわからないという風にあたしの手元を見た。そこには仁王から押し付けられた温い缶ジュースがある。それを見ても柳生は目をぱちくりとさせていた。


「これ、柳生からじゃないの?仁王がお詫びがなんとかって言ってたけど」

「いえ、私はそのようなものを仁王君に渡した覚えはありませんが…」


…あの野郎。騙しやがったな。柳生の話題であたしの反応見て面白がってただけか。くそ。


「詐欺にかけられたようですね」

「みたいだな」


大きくため息をついて缶ジュースを見る。よく考えれば柳生が仁王にこんなもの託すわけない。柳生ならきっと人に頼まず自分で私に来るはずだ。


「しかし本当にお詫びがしたいと思っていましたのでちょうどよかったです」


彼は笑顔を見せてあたしに甘い蜜を放つのだ。あたしはその香りにまんまと誘われてしまう。


「週末、お時間いただけないでしょうか」



(やはり焦ったか。あと少し、じゃな)








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