自己嫌悪に陥って俯いていれば白石さんがきゅっとわたしの手を引いた。



「名字さん」



やわらかな声と共に、わたしの頬に添えられた温かな手。その手に強制的に上を向かせられて綺麗な薄茶色の瞳と眼が合う。それから唇を親指で撫でられた。

それは、噛むなってことなんだろうけどなんだかとても官能的で、自然と力が抜けていく。



「俺が、一緒におりたかっただけ」



繋いでいた手が離れてその腕がわたしの腰に回って引き寄せられる。

嘗てないほどに男の人と密着していた、心臓がドキドキを通り越しそうだ。ううん、もうきっと通り越してる。お願いだから、この心臓の音が白石さんに聞こえていませんように。



「今日練習に誘ったんも俺を見てほしかったから。一緒に帰るんも名字さんと少しでも一緒にいる時間が欲しかったから」



じっと見つめるのその瞳はとても真剣でわたしは何も声を発することができなかった。



「もちろんテニスは大切やから疎かにしたらあかんけどな」



送るくらいしたって罰あたらんて、なんて笑うものだから。その言葉全てが嬉しくてわたしも笑顔になってしまう。



「勘違いして、ごめんなさい」



今度のごめんなさいは時間を奪ってごめんなさいじゃない。一緒にいたいと思ってくれていたことを知らなくて、のごめんなさい。わたしばかりが白石さんと一緒にいたいんだと思ってた。わたしばかり白石さんを大好きで、声が聞きたくて、会いたくて。

でも違ったんだね。白石さんも私を想ってくれていた。知らなくて、ごめんなさい。



「んー…許さへん」

「…え?」



少し考える素振りをして返ってきた言葉は優しい白石さんからは予想外のことだったから、思わず声が漏れ出てしまった。でもその顔はとても怒ってるようには見えない。というかむしろ、笑ってる?



「あの、どうしたら許してもらえますか…?」



恐る恐る尋ねてみれば、白石さんはいつものにっこり笑顔を浮かべて楽しそうな顔を見せた。


え、あれ?わたし何かおかしなこと言ったかな。それとも何かわたしじゃ務まらないようなことでも言われるのかな。



「俺の愛を疑ったんやからなー」

「あ、あ、あいって…あの、そんな」



これ以上白石さんを見つめていることはできなくて慌てて目線を下に下げる。未だ白石さんの腕はわたしに巻きついたままだし、もう片方の手は頬にあるから下を向くことは叶わない。せめてもの抵抗に視線を合わせないようにした。

けれどそれも失敗だったかもしれない。だって目の前には制服の上といっても白石さんの胸板。テニスをやって鍛えているのだからもちろん硬くて広い。今まで男の子とこんなに近づいたことのないわたしはこんな状況に顔を真っ赤にするしかない。



「“名前”」



耳に届いた低くて甘い声。


それは紛れもなくわたしの大好きな白石さんのものなんだけど、いつも呼んでくれる名字さんという声よりも色っぽく聞こえて、どきりと心臓が跳ねた。驚いて視線を白石さんに戻すと、彼は笑顔を崩さずにわたしを見ていた。



「そう呼ぶ権利が欲しい。名前で呼ばせて」



男の人の色気を大放出する白石さんにわたしは何も言えなくて、ただこくこくと頷く。白石さんは破顔してありがとうと言った。


その笑顔がとても可愛らしくて、きっとそう言ったら白石さんはまた微妙な顔をするのだろうけど、それでも大好きだって思った。



「名前、好きやで」



わたしのおでこにちゅっと唇を落として、それからやっと白石さんは離れた。そうしてまた指を絡めて家までの道を歩く。


おでこへのキスも道の往来で抱き合っていたことも全部が全部恥ずかしくて、わたしは真っ赤になって手を引かれる。

けれどそれ以上に、全てが嬉しいの。わたしにはこんな近くに男の子がいることも初めてで、どうやって気持ちを伝えたらいいのか、どうやって触れたらいいのかわからないけれど。白石さんがとても優しいから。恥ずかしくても伝えたいって思うの。



「わたしも、好きです」



耳に残る、わたしを呼ぶ白石さんの心地よい声。

それがわたしを勇気づけてくれる。まだわたしは貴方の名前を呼ぶことはできないけれど、許してほしい。そう遠くないいつかちゃんと、呼ぶから。今はまだ待ってほしい。



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