「なぁ、名字。自分財前に何したんや」
「してませんよ。人のせいにしないでください」
「せやかてさっきより悪化しとるやんか」
「元はと言えば謙也さんが喧嘩したのが悪いんじゃん」
「はぁ?喧嘩なんてしてへんし」
「マジすか。じゃあ何で機嫌悪いの」
こそこそと二人が話しながら掃除をしとるのに腹が立つ。しかも全部聞こえとるし。
俺をピアスって呼ぶんは女嫌いの俺に対する名字なりの配慮があったから。俺と関わりたくないとか、そんな感情やないことはわかった。
でも名字を好きだと自覚してしまった俺には、俺以外の男を名前で呼んどるのに俺は名字ですらない、という事実の方が痛かった。
名字は他人に興味を示さない女やから、俺のことも何とも思ってへんのやろう。ほな謙也さんには?最近やけに仲ええみたいやけど。
そもそも謙也さんも何なんや。女とあない仲良うして。普段後輩の女とそんな風に話さへんくせに。
もしかして謙也さんって名字のこと…ってそれはないか。謙也さんはヘタレやから好きな女にはむしろ近づけなさそうやし。
あぁ、めんどくさい。何で俺がこない考え込まなあかんねん。
好きってなんや、ほんま。そんな気持ちとうに忘れたはずやったやろ。何で今になって思い出すんや。
「はぁ…アホらし…」
「何が?」
「っ!!いきなり近づいてくんなや」
俺の独り言を聞いたらしい名字は顔を覗き込んだ。
驚いて思わず反射的に離れる。名字は何も気にしとらんのか俺の隣で掃除をし始める。
「ごめんごめん。でもやっぱり様子変だし。流石のあたしも気になる」
気になる。それは何でなんやろう。友達、やからか。そらそうか。名字は俺に何の気持ちも持ってないんやから。
「別に」
「あっそ。話してくれないならいい」
相変わらず興味ないんやろう。ただ友達という立場やから気にとめただけで。
「知られたくないなら尚更、機嫌悪いからって周りに迷惑かけたらダメなんじゃない?」
名字は多分何ともなしに言うたつもり。でもその言葉が俺にはやけに重くのしかかった。
俺は先輩らに迷惑をかけまくっとる。それはちゃんと自覚してる。日常だけやない。あのこともあるから先輩らは俺を守ってくれてる。部長なんてまるでおかんみたいや。
わかってる。でも俺やって今は戸惑ってんのや。名字が好きやからってどうにかしたいわけやない。
でも他の男と居んのを見るとイライラする。俺かてどないしたらええんかわからん。
「謙也さんも気にしてる。また何かあったんやろかって言ってた。“また”ってことは前にもあったんでしょ」
前は暫く隠してた。知られたくなくて。あの時は部長や謙也さん、部活の先輩らに知られて、軽蔑されたくなかったから。
でも最初に勘のええ部長が気づいて、全てを話した。居心地が良かったテニス部という居場所にもういられんくなるんやないかって思った。
なのに部長はただつらかったなって言うただけやった。あんなに泣きたくなったことはなかったと思う。
「財前のこと心配してる人もいるんだよ」
いつか。いつか名字にも俺の醜い過去を話せるやろうか。
名字は俺がこうなった理由を聞いても離れないでいてくれるやろうか。
離れてほしくない。受け止めてほしい。俺を、知ってほしい。
「……名字は?」
「あたし?心配してほしい?」
冗談めかして笑って言う名字の顔は今まで見た中で一番綺麗で。名字の肩くらいの長さの茶色い髪が揺れた。
俺らしくもない程心臓が音を鳴らす。
ほんま、俺らしくないわ。
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