やっとの思いで教室に着いて、鞄を持ってすぐに教室を出た。
「名字ちゃーん?」
名前を呼ばれたけどシカトする。今はAもBもCも相手にしてる余裕はない。あんな騒がしく話されたら頭割れるわ。
教室に財前はいなかった。
学ラン、どうしたらいいんだろう。視聴覚室にいるのかもしれないけど、今のあたしはそこまで行くのも辛い。
明日でいいだろうか。でもそしたら財前が寒い。こんな時期に学ランなしじゃいくら鍛えてる財前だって風邪ひいちゃうかもしれないし。
やっぱり返しに行こう。
下駄箱に着いてから思い直してまた踵を返す。
「どこ行くんや」
「…え?」
壁に寄りかかって腕を組んでる財前がいた。気づかなかった。いつからいたんだ。
「財前、良かった。これ返す」
財前に持ってた学ランを押し付けて靴を履き替える。
そこでふらっと来て壁に手をついた。手をぎゅっと握って踏ん張ってなんとか転ばずに済む。
「いらんわ。着とけ」
学ランはまたあたしの手に戻ってきた。財前がじろりと睨むものだから、迫力に負けて袖を通した。
財前の学ランは勿論あたしにはぶかぶか。でもあったかい。
「ほら、行くで」
「え、どこに…」
財前も靴を履き替えて外に出た。あたしの呼びかけに足を止めて振り返る。
「一人で帰れへんやろ」
当然とでも言うようにしれっと言う。
でも当然じゃない。女嫌いの財前があたしを送る理由はない。それにここにこんなにタイミングよくいるなんておかしい。
「何で、いるの」
「部長から連絡来た。目ぇ覚ましたけど一人で帰る言うんや、って。自分何考えとんのや。ふらふらなくせして」
小言を言って早く帰んで、とあたしを急かす。
そのわりにゆっくりしか歩けないあたしに合わせて財前もゆっくり歩いてくれた。財前はただ隣を歩くだけで文句も言って来ない。
家まではいつもの倍の時間がかかった。
「そんな熱あんのに何で休まんかったんや」
マンションの部屋の前で別れ際に財前に言われた。
本当は休みたかった。でも休めなかった。迷惑かけてるのはわかってるけど。それでも誰かに一緒にいてほしかった。家に一人でいたくなかった。
「…ごめ、ん」
ごめん。でも今、あたしすごく幸せだ。
構ってくれる人がいるってことは、存在が認められてるってことだから。少なくとも財前はあたしを認めてくれてるってことだ。夢の中であたしを呼んでくれた時と同じように。
「迷惑かけて、ごめん」
もう一度謝ると財前ははぁと溜め息を着いて自分の頭をがしがしと掻いた。
「泣くなや」
「え、あたし泣いてんの」
目を逸らされた。人前で泣いたのはいつ以来だろう。てか何であたし泣いてんの。何もつらくない筈なのに。
それにあたしは喜怒哀楽なんて感情もう忘れてる筈なのに。だからあたしは笑えない。泣くのだって生理的な涙以外ではない。
なのに何で今あたしは泣いてんだよ。
「もうええから。…ちゃんと暖かくして寝ぇよ」
財前が元来た道を歩いてこうとする。
財前が離れて行っちゃう。また一人になってしまう…。
そう思ってあたしはとっさに財前の腕を掴んだ。財前はぎょっとしてあたしを見た。
「財前……ざいぜ、ん…」
「は?ちょ、おい!?」
あぁ、わかった。
あたし財前に見放されたくないんだ。やっと見つけた居心地のいい場所だから。
だから涙が出てくるんだ。だからこうして、迷惑なのを承知で財前を引き止めるんだ。
これが何て名前の感情かなんてわからない。でも財前とあたしは似てるから。少しなら頼ってもいい気がした。
ごめん、財前。あたしは自分と似ているあんたを利用する。少しでいいから、今だけでいいから、頼らせて。
あたしは財前に倒れ込んで、そのまま意識を手放した。
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