きっと俺の汚い過去を話せば幻滅される。ほんまならこんなこと話したないけど、それでもこのままやったらあかんから。すべてを名字に打ち明けて、それでも俺を受け入れてくれるならば。俺はもう一度名字に自分の気持ちを言いたい。



「あの女と会ったんは中学二年の始めやった」



あの時の俺はまだ何も知らんかった。まだ、穢れを知らない普通の中学生やった。

小学生だった幼さもやっと抜けて、少しずつ大人へと近づいていく年頃。初めての後輩ができた嬉しさと、テニスを楽しいと感じてきたあの頃。俺は生活に何一つとして不満はなかった。


そんなときに起きてしまったあの事件。誰にも言えない、言いたくない俺の過去。



「ねえねえ、君、財前君だよね?」



部活の休憩時間に水を飲んどったら後ろから声をかけられた。


その日は四月の中でも暖かい日差しで、テニスコートで走り回る俺たちには既に汗を流させる原因になっとった。やから休憩時間に給水場に水を飲みに行った。



「はぁ…なんすか?」



俺は蛇口の水を止めて振り返る。そこには中学生にしては少し大人びた容姿の女。

肌が白く眼は大きく、茶色く染めた髪をくるくると巻いて、人形みたいな。それでいてなんや冷たい印象を持つ不思議な女。



「ふふ、テニス部の天才って聞いたからちょっと興味あって」



ゆっくりと近づいてきて俺をじっと見つめる。そして、くすっと笑って、決めたと呟いた。俺には意味がわからんくて、訝しげな瞳を向ければ彼女はくるりと俺に背を向けた。



「明日の放課後、保健室に来てね」

「は?ちょっ!?」



少しだけ振り返って口元に怪しげな笑みを浮かべ、俺の返事も聞かずに走って行ってしもた。


もちろん俺には明日も部活があるわけで、あんな変な女の一方的な呼び出しに応じなあかん理由も義理もなんもなかったんやけど。それでもやっぱり無視することはできんくて、翌日は部長に部活に遅刻する許可を得た。



言われた通りに保健室に行けば、出張中の張り紙。なんや、教師おらんやん。と思いながらドアの取っ手に手をかけた。あかへんと思った扉はすんなりと開いて、そこには昨日の意味不明な女が背を向けて立っとった。



「来てくれたんだね、財前君」

「あの、先輩…っすよね?俺、部活あるんで用ならさっさと済ましてもらえますか」



俺の言葉には一切反応せずに彼女は近づいて来て、俺の学ランの裾をぎゅっと掴んだ。その距離のあまりの近さに一瞬驚いて後ずさったんやけど、俺のその動きはもう遅かった。



「怖いの?」



ゆっくりと動くその唇はさながら悪魔のような赤。それが迫ってきた時、俺は動くことができんかった。まるで金縛りにでもあったみたいに。


俺の唇に押しつけられたその赤はゆっくりと俺の唇を食んだ。ほんの一年前まで小学生やった俺はまだそんなに身長も高くなくて、その女はいとも簡単に俺を懐柔した。



「ん、財前君はこんな味なのね」



そっと離れた唇は俺の耳元でそう囁いた。はっとして俺は女を突き飛ばした。せやけど、女はよろけただけでもう一度俺に近づく。



「な、なんやあんた…」

「私は、財前君のファンだよ。怯えないで。ただ財前君と仲良くしたいだけよ」



さっきまではちっとも気にもならんかった標準語がやたら耳触りや。どうみてもヤバそうな雰囲気を醸す女から早く離れようと、俺は背後の扉に向き直った。


けど、その行為が間違っとった。あの女に背を向けたらあかんかったんや。


扉に手をかけた俺に、女は後ろから抱きついてきた。そしてすっと伸びてきた左手は保健室の鍵をカチャリとおろした。女の右手は俺の身体に巻きついて横腹を撫でた。学ランの上からでもわかる艶めかしい動き。



「逃げるの?駄目だよ、今日君は私と遊ぶんだから」



背中を嫌な汗が伝う。


早く、早く部活に行かな。こんなわけのわからん危険な女とおったらあかん。


そう俺の頭の中で警鐘が響き渡るのに、恐怖からか俺はぴくりとも動くことができんかった。



「ねぇ、財前君。いいこと、しよ?」



そう言って横腹からゆっくりと下がってきた女の右手。それがどこに向かっとるかなんちゅうのは想像に難くない。



「や、やめっ…」



弄ぶようにさらりと俺を撫でた女は、俺の拒否の言葉を無視して俺を空いているベッドに引きずり込む。



それがすべての始まりだった。



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