ぴくりと綺麗な形の眉が動いて目を開ける。真っ黒な瞳があたしを見て驚いたように真ん丸になった。片手でヘッドホンを外して首にかけ、あたしをじっと見つめる。
「名字…何の用や」
すっと目を細めて、さっきの女の子に対する声音と同じ冷たい声。でも怖くはない。ただ、寂しい。今まで一度としてそんな声をかけられたことはなかったから。
思えば最初から財前はこんな声であたしに話すことはなかった。あからさまに拒絶されるような態度をとられたことはない。
あたしは何も答えられずただ立ち尽くす。貸出カウンターの中に座る財前は、冷たい一瞥のあと目をそらした。
「用がないんなら、」
「用ならあるよ」
カサっと音を立ててカウンターに小さな紙袋を置いた。それからあたしは財前をまっすぐ見つめて、何度も心の中で練習してきた言葉を口にする。
「あんたにお別れをしに来た」
今日でもう終わり。あたしたちは今日でクラスメート以下の関係に戻る。覚悟は決めてきた。あたしは一人じゃない。友達が出来た。大丈夫。寂しさなんて、私は知らない。
「これ今までのお礼。迷惑かけたからね。じゃ」
あくまでもバレンタインではないと印象付けたかった。もうこの気持ちも捨てるって決めたから。
あたしは財前の目の前から通りすぎてドアに向かう。この扉を抜けたらもう終わりだ。
さよなら
たったその四文字が言えない。
さよならしたくないってあたしの心が悲鳴をあげる。やめろ、やめろやめろ。黙れ。あたしは、財前から離れなきゃいけないんだ!!
「…さ」
「名字」
震える声で言葉を発した時に財前に名前を呼ばれた。あたしはその声に振り返る。そしてすぐに後悔した。
振り返ってはいけなかった。視界に入ったのは何とも言えない表情の財前。ただ、喜んでいるように見えないのは確かで。哀しんでいるような、呆れているような、苦しんでいるような、とにかくそんな顔。
「ほんま自分は強いな」
手を伸ばして私が置いた紙袋引き寄せる。突き返される可能性を考えていたから、それだけでほっとしてしまう。
「普通フられた男にこないな日こないなもん渡せへんし、この前やって教室出るときあんな事言われへんで」
強くない。あたしは決して強くなんかない。ただ、独りでいることが長かったから慣れているだけだ。誰かとさよならするのも、陰口言われるのも。
あたしだって昔から友達がゼロだったわけじゃない。幼稚園の時、小学生の前半は人並みにいたんだ。でも周りはあたしが親に愛されてないことを知ると、離れていく。
子供は残酷だ。そして弱いあたしは傷つく。それならいっそ人と関わるのをやめてやろうと思った。
あたしは結局強がってるだけなんだ。独りは嫌い。でも関わりをもって傷つくなら独りでいる方がまだましだ。
「それに比べて、俺はなにやってんのやろな」
くしゃっと前髪をかきあげて、眉間に皺を寄せる。
「俺は弱いままや…」
苦しんでる。きっと自分の中の闇と戦ってる。あたしにはそれが何かはわからないけど。
「弱くてもいいじゃん」
「は?」
あたしの言葉に反応して、睨むよう見上げる。あたしはもう一度財前に近づいてカウンター内に座る彼の頭を撫でた。
人に触れられるのが、しかも女に触れられるのが嫌いなのはわかっているのに止められなかった。手を払われる覚悟もしてたのに、財前は黙ってあたしを見上げたまま。
「財前は頑張れるよ」
それだけ言ってあたしはもう一度ドアに向かう。今度は財前も何も言わない。
結局あたしはさよならを言わずに図書室を出た。
−87−
戻る