大きな影がのそりと動いた。



「そんなに壁作らんでもよかね」

「…っ」

「気付いとるばい、みんな」

「だったら!!だったらほっといてください。あたしは誰とも関わりたくないんです。失礼します」



すぐに部室を出ようとした。


このままじゃあたしがあたしじゃなくなる。あたしは元のあたしに戻ったんだ。

あたしは、一人だ。



「名前ちゃん」

「何ですか。もういいでしょう」

「光くんもそうだったんよ?」



引き止めた小春先輩の眼鏡が光った。


何、いったい…。



「光くんも昔そうだったんや。多分名前ちゃんとは全然違う理由やと思うけど」

「小春、それ以上は…」

「わかっとるわよ、蔵リン」



財前の過去は本人以外から聞いちゃいけない。

あそこまで女を遠ざける理由がそこにあるって知ってる。きっと財前に深く大きな傷を残した出来事。

それを先輩から聞きたいとは思わない。



「クリスマスパーティーの時、名前ちゃん楽しそうやったやない」

「小春の言うとおりや。お前ほんまは人と関わりたないなんて思ってへん。俺らが笑かした時楽しそうやった」



小春先輩とユウジ先輩に言われて思い出したくない記憶が思い出された。


クリスマスは楽しかった。だから思い出したくない。


楽しかった思い出はあたしの場合寂しさも共に引き連れてくる。孤独を感じる寂しさを思い出すくらいなら楽しかった思い出も消してしまいたい。

そうやって感情をなくしてきた筈なのに。



「財前は信頼しとる相手の前以外で壁を取っ払うことはない。女の子やったら特にや。その財前が名字さんの前でも笑てた。信頼しとる証やで」



追い討ちをかけるように部長に言われて胸がズキンと痛む。


あぁ、最悪だ。

好きな相手に信頼されて嬉しくない筈がない。でも財前の信頼は今のあたしを傷つけるだけだ。



「先輩たちにはわたしの壁なんてわかりませんよ。それに財前とは仲が良かっただけです。信頼とかそんなもの、ありません」



早く殻に閉じこもらせて。


財前はもう友達じゃない。友達未満だ。


わたしはまた感情のないぼんやりとした独りの世界に戻るんだ。



「名字、財前のアドレスと番号知っとるやろ」

「それが何ですか、謙也さん」

「あいつのアドレスと番号知っとる女なんて自分以外一人もいない。間違い無く名字は財前の特別な存在や」



やめてくれ。

特別なんて聞きたくない。あたしは存在理由すらないのに。ただ生きてるだけなのに。誰かの特別になんてなれない。



「…っ違います。いい加減にしてください」



あたしはもう何も聞きたくなくて部室を出た。この場から早く離れたくて走って。


暫くして止まった。



「はぁ…はぁ…」



一人になったと思ったのについてきてる人がいた。

そりゃ現役テニス部から逃げられるとは思ってないけれど。今この状況は追ってくるところじゃないだろう。



「名字さん」

「副部長、空気読んでくださいよ。追って来る場面じゃありません」

「堪忍や…」



謝るからってどこかに行ってくれるわけでもなくて、黙ってそこにいる。部室では一言も話さなかったのに何で追ってきたんだろう。



「あ、あいつらな」

「はい」

「財前のこと心配なだけやねん。名字さんを責めとるとかやないから…。白石とかも、多分誤解しとっただけやろし…」



必死に話そうとしてる副部長は言ってることがしどろもどろでわかりづらい。

でも多分あたしが怒ってると思って部長たちをフォローしてるつもりなんだろう。



「もういいです。別に怒ってません」

「あ、あぁ、そうか。あ、でもな、俺も財前とは仲良うしてほしい」

「はぁ…いい加減にしてくださいってさっき言ったでしょう。あたしは財前と仲良くするつもりありませんよ」



仲良くしたらきっと好きだって言ってしまいそうになる。

財前の中の低俗な女たちと一緒にされたくない。幻滅されるくらいなら離れてしまいたい。



「そうか…。せやけど財前はほんまに名字さんのこと大事にしとるから。それだけは知っといて欲しい」

「…副部長、失礼します」



あたしはまた逃げ出した。


もう副部長も追っては来なかった。



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