「名字?」
多分泣き声が聞こえたんだろう。財前があたしの寝室をノックする。
今声を出したらもう絶対に止まらない。
あたしは必死で涙と声をこらえた。
押し殺して泣くのは得意だ。大丈夫、気づかれない。
「…泣いとんのか?」
「っ…!?」
「入んで」
ガチャと音を立ててドアが開いた。あたしは瞬時に布団に潜る。
嫌だ。見るな。明日になったら普通にするから。今はほっといて。
そう言えたらいいのに。口を開けば嗚咽ばかりが漏れる。
「どないした?」
ギシッと音が鳴って財前がベッドの端に座ったのがわかった。
有り得ない程優しい声音で聞くから心臓が掴まれたような感覚に陥る。
「だい、じょぶだから」
「どこが」
「ほんと、気にしないで」
布団から手だけ出してリビングに戻るように促す。けれど財前の気配は消えず、寧ろその手を掴まれた。
それから布団から引っ張り出される。
「こんな顔しとったら気にするやろ、普通」
上半身を起こされた状態で頬に手を添えられ、親指で涙を拭う。それでも涙は止まらなくて財前の手を濡らしていく。
泣きやみたいのに。目の前にいる財前を見ると涙は止まるところを知らない。
「話さんでええから。泣いとけ」
財前の言葉に本日二度目の号泣。
いつもならこんなに泣いたりしないのに。今日はどれだけ泣けばいいんだ。
涙なんてない冷めた人間だった筈なんだけど。
「ごめ、ん…」
「一人で泣かれるよりええわ」
そう言って数時間前玄関でしてくれたように抱きしめてくれた。
財前の体温が伝わってきて。体は近いのに心が遠いことを実感する。
届かない気持ちを吐き出すようにひたすら泣き続けた。
そのまま暗い闇の中に堕ちていく。
つらくて苦しくて、全てを拒絶したくなる。
優しさも温もりも、いらない。
だから放っておいて。
そうすれば誰も傷つかない。
あたしは望まれずして生まれた子供。良い子にしてなきゃ邪魔になる。
一緒にいてなんて言わない。
存在を認めてなんて言わない。
せめて一人でいられる居場所を作ってくれればいい。
そうしてここに来たのに、今になって一緒にいてほしいなんて思うのはいけないことですか。
ねえ、財前…
あたしの決意返してよ。
一人で生きていこうって決めたのに、何であたしに構うんだ。
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