名字が風呂に行ってからはくだらないテレビ番組だけが部屋で音を出していた。
ここに来たのは二度目。
見渡しても相変わらず生活感はない。リビングにはソファーとテレビと机だけ。
あとは何もない、殺風景な部屋。
「気持ち悪くならへんかったな…」
ソファーに座ったまま名字を抱きしめた手を見つめる。
俺は自分の意志で名字の後頭部を引き寄せた。
あんなに近くに女の匂いを感じて、柔らかな肌に触れとったのに。吐き気も震えもない。
寧ろなんや、愛おしいと感じた。
それに俺は無意識に名字の名前を呼んだ。普段の俺は女の名前なんて呼ばへん。
でもあれは確かに自分の声やった。やっぱり好きな女やからか。
「は、そんな資格ないのにな。アホやな、俺」
自嘲するように笑う。自分の顔が歪むのがわかった。
行き着くとこまで堕ちた、汚い俺は人を好きになる資格はない。
わかってるのに名字から離れたくないと思う俺は、欲にまみれたあの女らとそう変わりはないような気がする。
結局俺も腐ってんねんな。
「財前も入る?」
「おわっ!?」
「…何驚いてんの」
いきなり背後から聞こえた声に声をあげるとクスクスと名字が笑てた。
初めて会った時では考えられへんくらい柔らかに笑う。
あぁ、そうや。昔の俺と似てたんや。
誰にも近づかれたくなくて関わらないように壁を作って。それを壊して俺を救い出したんは先輩らやったか。
名字は誰に壁を壊されたんやろう。俺、やったらええのに。
「おーい、財前。聞いてる?」
俺の前で手をひらひらと振る名字が視界に入って息を呑んだ。
濡れた明るい茶色の髪がおろされて。そこからシャンプーの匂いやろうええ香りがする。
白く綺麗な肌がしっとりとして少し赤みを帯びとる。
ヤバい、ほんまにヤバい。
元々顔は整った方やけど、色気みたいなもんが半端ない。
なんやこれ、俺キモいわ。
「どしたの?お風呂入んないの?」
「…お、おぉ。借りるわ」
ラケットバッグからTシャツを取り出してバスルームに入る。
襲わへんとは言うたけど、ちゅーか襲うなんて俺には多分無理やけど、でも触れたいと思った。
名字が綺麗すぎて俺が触れてはいけないと思いつつ、少しでも近くにいたいと思う。
惚れるって怖い。
あんなに女嫌いやったのに。むしろ人間不信やないかってくらい他人を拒絶してた俺やのに。
だんだん俺の中の氷が溶けて名字への気持ちが募っていく。
「クソ…」
好きやから近くにいたいけど近くにいたらあかん。近くにいて傷つきたくないし、傷つけたくない。
離れなどんどん好きになってく。でも離れたくない。
一緒にいたい。
もう自分がどうしたらええのかわからん。誰か教えてくれ。
−54−
戻る