財前からの電話は意味がわからないまま切れた。
大丈夫かと聞かれて黙ってしまったあたし。財前が何に対して言ったのかはわからない。
でも負の考えにとりつかれていたあたしは瞬時に大丈夫と返すことはできなかった。やっと返せた声は少し震えていて、財前には知られたくなかったから必死で平然を装った。
多分、鋭い財前は気づいてしまったと思うけど。平然を装った手前、知られたくないことだとも察してくれたんじゃないかと思う。
また携帯が鳴った。
何だか今日はよく鳴るな。普段はめったに電話なんてないのに。財前の電話を切ってから握り締めていた携帯に、相手を確認もせず出る。
「もしもし」
『名字、オートロック開けろ』
「…は?」
耳から離して画面を見る。
財前光。
聞こえてくる声の持ち主の名前が表示される。
何でだ。ついさっき切れたばかりなのに。いや、それよりも何でまたうちに戻って来てるの。
『名字』
「何で来てんの」
『早く。寒い』
意味もわからないままあたしはロックを解除する。財前がエレベーターで上がってくるまでの間あたしは放心状態。
何で来るんだ。これ以上あたしを惨めな気持ちにしてくれるなよ。財前は帰れば家族がいるんでしょう。一時の同情なんていらない。あたしを早く一人にしてよ。
チャイムが鳴ってドアを見つめる。きっとその前には今、財前がいる。
たった一枚のドアを隔てた先に。
会いたい。
会いたい…。
………会いたくない。
「何しに来たの」
ドアにぎゅっと握った拳をついて外に聞こえるように言う。
今財前と会ったら戻れなくなる気がした。さっき袖を掴んだ時、行かないでほしいと思ってしまった。
ダメだ。そんなこと思ってしまったら。あたしは一人でも大丈夫だから。
望まれない存在ならせめて迷惑だけはかけないように生きなきゃいけない。
「…名字、早よ開けろ」
やめて。早く帰ってよ。何で今更あたしを崩そうとするんだ。
今まで16年こうやって生きてきたのに。何もかもどうでもいいって放り投げてきたのに。
「嫌だ」
早く、見放して。これ以上あたしなんかが人を好きになったらいけない。
そうなる前に元に戻らせて。何に対しても無関心で、孤独に耐えられる自分に戻らせてよ。
「なら何でオートロック開けたんや」
「それは…」
「早よせんと管理人に名字が音信不通なんですって言うてくるけど」
って、おい。それはダメだろ。嘘吐くな。
あたしは仕方なくドアを開ける。
目の前には白い息を吐く財前。さっきと何も変わってない。
玄関に入ってドアを閉めると財前があたしを射るような目で見てくる。あたしはただその目を見るだけしかできなかった。
「……何しに、来たの」
耐えられずに先に言葉を発したのはあたしだった。
いろんな気持ちが混ざり合ってその声は僅かに震えてる。
会いたくて、でも会うべきじゃなくて。
一人になりたくなくて、でも一人になりたかった。本当に何しに戻って来たんだ。あたしの気持ちも知らないで。
「名字…」
財前の左手が上がってきて、一瞬躊躇した後、あたしの頬に触れた。その手は冷たい。
「堪忍」
「何…」
「連れてかんかったら良かった」
財前は少し目を伏せて小さく息を吐いた。
「帰ったら家に一人やってわかってた筈やのに」
「…財前が気にすることじゃない。もう帰って。あたしは大丈夫だから」
頬の上の財前の手を下ろす。
何で気づくんだ。財前がこれ以上あたしに踏み込んできたら、あたしが戻れなくなる…。
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